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池上彰氏のベトナム戦争論の欠陥

Japan In-depth / 2018年9月25日 15時23分

 


 ジュネーブ協定ではその2年後の1956年に北のベトナム民主共和国と南のベトナム共和国が一緒になり、全土での選挙を催すことを決めていたが、同協定に参加しなかったベトナム共和国(南ベトナム)は応じなかった。北ベトナムはこの状況に対して軍事力で南ベトナムを滅ぼすことを決め、攻撃を始めた。だからベトナム戦争は共産主義の北ベトナムが非共産主義の南ベトナムを軍事力で攻め、粉砕した戦争だった。米軍はその南ベトナムから要請され介入した。


 


 池上氏の記事はこの戦争の本質に触れず、もっぱら「東西冷戦の米ソ対立」に戦争の原因を帰していた。独立闘争という点ではドイツや朝鮮半島とは異なるのだ。また北ベトナムに兵員まで送って支援した中国の役割にまったく触れていない。


 


(2)池上氏の記事は南ベトナム領内での米軍と南ベトナム政府の敵は南ベトナム解放戦線(解放戦線)があくまで主体だったように描いていた。 


 


しかし現実には南領内での戦争を実行したのは一貫して北ベトナムだった。ベトナム共産党が一党支配した国家である北ベトナムが総力をあげて南ベトナムの武力制覇を目指し、それを阻もうとした米軍、南軍と戦った。その過程では北ベトナムは偽装のために南の解放戦線を結成し、自国は南に軍事介入をしていないという歴史的な大フィクションを組み立てた。もちろん南にも南政府に反抗した人たちはいたが、あくまで主役は北ベトナムであり、北のベトナム人民軍の将兵が肩章を捨てて南下し、戦争の主役となっていた。池上氏の記事はこのフィクションに沿った部分が多いのだ。


 


池上氏は「北ベトナムは南に物資を運び、解放戦線を支援していた」とだけ書いているが、大きな間違いである。北ベトナムは正規軍師団を戦車や大砲とともに多数、南ベトナム領内に展開し、実際に攻撃を重ねた。池上氏は「米軍がジャングルでの解放戦線との戦いに苦戦した」と、ジャングル戦やゲリラ戦だけがベトナム戦争の戦闘であったかのように書くが、とんでもない。米軍にとっても主要な戦争はみな北の人民軍との正規戦だった。


 


私は北ベトナム軍による1972年の春季大攻勢、1975年の南粉砕大攻勢の両軍事作戦を現地でみたが、北はいずれも一個師団約1万人の正規歩兵師団を10数以上も南ベトナムに投入しての大戦争だった。



写真)テト攻勢での激しい戦闘跡地を進む米海兵隊員(1968年 ベトナム)


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