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敗戦から得る、本当の教訓 昭和の戦争・平成の戦争 その8

Japan In-depth / 2018年10月5日 8時34分

最終的には、遠路ウラジオストックを目指して地球を半周してきたバルチック艦隊が、対馬沖での艦隊決戦で全滅の憂き目を見たため、ロシアは屈辱的な講和に応ぜざるを得なくなったわけだが、地上戦においても日本軍の勝利と判定して差し支えないであろう。


ノモンハン事件に話を戻すと、一番問題なのは、この戦闘の結果に対する、日ソ両軍の対応の違いである。結果的に圧勝したとは言え、予想外の犠牲を払うこととなったソ連軍は、そのことを深刻に反省し、装備の改良に乗り出した。


一例を挙げれば、戦車に搭載していたガソリン・エンジンを、ディーゼル・エンジンに切り替えた。日本の歩兵が投げる火炎瓶が、想像以上の威力であったことへの反省も踏まえてのことだが、たしかにガソリン・エンジンだと、機関部に火炎瓶が命中したような場合、ラジエターが炎を吸い込み、即座に燃料に引火して爆発炎上してしまう。


ディーゼルならばこうした危険性が低い点に着目したソ連軍は、アルミ合金を多用した軽量コンパクトなディーゼル・エンジンを開発し、新型戦車T-34に搭載した。これが後のナチス・ドイツ軍との戦いで大活躍することになる。



▲写真 T-34-85(ソミュール戦車博物館の戦後チェコ生産型)出典:Wikimedia


実は日本陸軍の主力戦車であった97式は、世界に先駆けて空冷ディーゼル・エンジンを搭載していた。ただ、ディーゼル・エンジンにも欠点はある。ガソリン・エンジンと同じ馬力を得ようとすると、かなり大型にならざるを得ないので、車体の中で機関部が占める比率が異常なまでに大きくなり、影では「エンジン運搬車」などと呼ばれていた。


なおかつ、火力や防御力の点で、ソ連戦車に太刀打ちできなかった。


いずれにせよ、地上戦における戦車の威力を見せつけられたはずなのに、日本陸軍は戦車の改良や新型の開発にあまり力を入れなかった。予算や技術の限界もあったが、惨敗をあまり深刻に反省せず、「何千輛という戦車を繰り出してこようが、わが歩兵が一人一殺の意気で立ち向かえば、火炎瓶で残らず仕留めることができる」などと総括し、不都合な現実を直視しなかった可能性が高い。


なにしろこの敗戦に対する陸軍上層部の対応というのは、新聞等に一切の情報を伏せたばかりか、生き残った将兵には箝口令を敷き、連隊長など現場指揮官には「敗戦の責任」を押しつけて自決を強要し、惨敗をなかったことにしようと腐心していたのである。そもそも、国境警備隊同士の小競り合いに師団規模の援軍まで繰り出しておいて、全面戦争に発展する事態は避けようとしていた。


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