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バブル時代の歩き方(上)~ロンドンで迎えた平成~その2

Japan In-depth / 2019年2月13日 0時16分

 


就航する航空会社によって出入国に利用するターミナルが異なるのは、どこの空港でも同じだが、当時のヒースローでは、BA(英国航空)と国内線が1、ヨーロッパ、北米、そして当時はソ連だったわけだが、アエロフロートが2,そしてアジア・アフリカの航空会社が3という風に分かれていた。


 


で、格差がいささかひどかった。ターミナル1には、ちゃんとしたテーブルでお茶やランチ、気が向けばソファに腰を下ろしてビールを一杯、ということができる店がちゃんとあったのに、3はと言えば、プラスチック製の椅子を並べた安っぽいカフェしかなかったのだ。


 


なので私は、日本から来る友人を出迎えに行った時など、ターミナル3で到着時刻を確認し、地下通路を通ってターミナル1へ行き、そこで時間を潰したりした。飛行機が到着してから乗客がゲートを出るまで、早くても30分近くかかることは、海外旅行の経験者なら誰でもご存じだろう。地下通路を歩きながら、こういうところにも、英国人の人種に対する考え方が表れるんだよなあ、などとよく思ったものだ。


 


ところが1980年代も終わりに近づいた頃、すなわち日本がバブル景気に突入した頃から、どんどん様変わりしはじめた。大規模なリフォームが行われ、「なんということでしょう。すっかり明るくなったロビーには、お洒落なカフェや、有名デパート〈ハロッズ〉直営の免税店まで開業して……」という具合になったのである。


 



▲画像 2000年代 ロンドン ヒースロー空港 ターミナル3 出典:Tom Murphy VII


 


本当のところ、日本のバブルと直接的な関係があるのかどうか、詳しいことまでは分からないのだが、金持ちの観光客が急に増えたことと無関係ではあるまい。


 


さらに言えば、予兆はあった。1983年に、初めてロンドンで現金10万円を両替した時、270ポンドとちょっとになった。1ポンドが360円ほどで、手数料やらなにやら引かれて、この金額になったのである。この前年、つまり1982年の暮れに、「ポンドが400円を切った」ということで、在英日本人の間で、ひとしきり話題になったと聞いた。


 


その後、1985年に一時帰国し、86年の春に再び10万円を両替したのだが、この時は330ポンドほどになった。1ポンドが300円近くになっていたのだ。


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