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僕がドキュメンタリーを撮るわけ 上

Japan In-depth / 2019年5月19日 16時19分


▲画像 『ビルマVJ 消された革命』場面カット 出典:2008 Magic Hour Films


 


小西: 『ラッカは静かに虐殺されている』みたい。


久保田: 完全に同じ構造。『ラッカは静かに虐殺されている』は、ISのプロパガンダに対抗するために戦うシリア人市民ジャーナリストの話。自分が憧れる、逆境の中でも闘う人たちを撮っているところが良い。そこには、ドキュメンタリー作家とジャーナリストの違いも表れている。


『ビルマVJ 消された革命』では、ジャーナリストは当事者として事実を伝えるけど、ドキュメンタリー作家は、ただ事実を伝えるのではなくて、そこに生きている人、「伝えたい」という人のことを伝えるという構造になっている。だから多くの人に響く。当事者ではないからこそ撮れるストーリーだと思う。そういうポジションがすごく好き。問題自体からは少し距離を置いているともいえるかな。ジャーナリストたちは状況を変えるために活動しているけど、ドキュメンタリー作家はそうではない。


 


Q.久保田さんは、そのような立ち位置で、ドキュメンタリーを撮りたいと考えていますか。


久保田: 場合によってはそのような立ち位置を取ることもあります。小西さんと一緒に足かけ2年取り組んできた、ロヒンギャの人権を守るために立ち上がったミャンマー人を主人公にした作品は、まさにそういうポジション。夏には撮り終えて公開します。


小西: 当事者が伝えているだけの問題は、インフォメーションとして世に出はするが、見る人は限られていて、ニュースとして断片的に伝わる。徹さんみたいなポジションの人がドキュメンタリーを撮ることによって、ニュースに興味がない人にも物語として届けられて、新たな層に問題を知ってもらうことができる。このことが、徹さんみたいなポジションの存在意義として大きいと思う。


 


Q.ドキュメンタリー制作において大切にしていることを教えてください。


小西: いかに人を感動させて動かすか。「自分も何かやりたい」と思わせること。見た時すぐに行動に移さなかったとしても、感動した作品は記憶に残って後の行動を変えることができる。「感動」は、喜怒哀楽といった感情の種類が混ざり合ったもので、それらを超越する。だから、ドキュメンタリーでは、あらゆる感情やものごとの善悪両面を複合的に描くようにしている。


久保田: 映像で人の行動を変えることはできないと思う。できるとすれば、映像を作る人を増やすということくらい。映像をつくりたい人にヒットすれば、彼、彼女が一歩進むための原動力になる。コニーとつながったのも、俺が映像を出していたから。


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