国名と「北方領土問題」 悲劇の島アイルランド その4
Japan In-depth / 2019年6月29日 7時0分
林信吾(作家・ジャーナリスト)
林信吾の「西方見聞録」
【まとめ】
・100年以上の支配はアイルランドの独自文化維持を困難にさせた。
・英語を身に着けたアイルランド人に「民族の原点」への回帰は難しい。
・アイルランドは、世界一住みやすい国と言われている。
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アイルランドが、植民地支配を経て1801年に「イギリス」の一部とされてしまった歴史は、前回までに見た通りである。
その後、1922年に「アイルランド自由国」が成立して独立を勝ち取ることになるのだが、やはり100年を越す支配の中で、独自の文化が生き残るのは困難であった。もともとかの地では、ケルト文化の中で成立したゲール語が話されていたのだが、グレートブリテンおよびアイルランド連合王国に組み込まれて以降、英語文化への同化も急速に進んだ。
ロンドンの政府の肝煎りで各地に「国民学校」が作られ、英語教育を徹底させる一方、もともと英語を母国語としていたスコットランド系プロテスタントが支配階級を形成していた北部では、かなり露骨なゲール語排斥運動が起きたのである。
かくしてアイルランドの人々は、独自の言語までも奪われたのだが、この英語文化への同化圧力が、なんの恩恵ももたらさなかったのかと言われると、それも少し違う。歴史の評価とはまことに難しい。
1845年から49年にかけて、世に言うジャガイモ飢饉に襲われたアイルランドから、数百万人が新大陸アメリカに移住したが、彼らはすでに英語国民となっていたため、言葉の壁はなかったのである。
▲写真 ジャガイモ飢饉の追悼碑 ダブリン 出典:Wikimedia Commons;AlanMc
しかし1922年のアイルランド自由国成立から15年、すなわち1937年には新たな憲法が制定され、国名も「エール」となった。ゲール語である。
と言うより、エールもしくはエイレが本来の国名で、英語読みがアイルランドなのだが、今でも英語の方がずっとよく通じる。1948年に「アイルランド共和国法」が制定され、アイルランド語(=ゲール語)をあらためて公用語と定めたにもかかわらず、だ。ちなみに翌1949年には英連邦からも離脱している。
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