パフォーマンス理論 その8 イメージトレーニング 

Japan In-depth / 2019年7月3日 7時0分

パフォーマンス理論 その8 イメージトレーニング 




為末大(スポーツコメンテーター・(株)R.project取締役)


 




【まとめ】

・熟達者のイメージトレーニングは、実際の体験に近い。


・イメージは、試技を評価する際、タイムよりも高度な基準になる。


・情動・体の動きと結びつけて行うとよい。




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イメージトレーニングと一言で言うけれども、かなり濃淡がある。イメージトレーニングが本当に習熟すると、自分の身体を動かさなくても、実際にMRIの中で自分の競技映像を見せられイメージした時に、競技中の動きに関わる領域が活性化するということが起きる。一方でなんとなく頭の中で思い浮かべているだけのことをイメージトレーニングと呼んでいる人もいる。動きと違いこれらは頭の中で起きていることなのでコーチも評価のしようがない。にも関わらず、イメージトレーニングの質は競技力向上に大きく影響する。練習量に制限がかかる競技人生の後半には特にだ。イメージトレーニングが熟達すれば、頭の中で勝つことも、負けることも、スランプに打ち勝つことも、オリンピックに出場することも、できるようになる。習熟した人のイメージトレーニングは実際に体験するのに近くなる。



イメージトレーニングだからといって自分の体験からあまりに飛躍したものを描けるかというとそれは難しい。哲学者のトマス・ネーゲルがコウモリであるとはどのようなことかという問いを立てた。コウモリは超音波を発しそれを受け取って自らの位置や進む方向を決めている。これは果たして主観的には見えたと感じているのか聞こえたと感じているのか。結局のところ、どのような主観的な体験となるのかはコウモリになってみないとわからない。これと同じように、身体においては自らの人生で主観的に得た体験の延長線上にしかイメージトレーニングは存在しない。人生初めての五輪で失敗する選手はわけがわからないまま終わったとコメントすることが少なくないが(私もそうであった)、それは本当にイメージの上でも初めてだからだ。経験したことがないことを頭で繰り返すことはできない。イメージトレーニングは現実から切り離すことはできない。



もちろん、誰でもぼんやりとは自分が五輪に出場した姿をイメージすることはできる。小説も映画も演技も、誰かの体験を頭の中で自分で作り直したものだから、それが近いのではないかという指摘もある。ただ私は心情はある程度表現できても身体の細部のイメージを浮かべるのはきっかけになるような体験をしなければ難しいと思う。私は、陸上競技場で同じ方向で回っていたので、右足から左足への体重移動は容易にイメージができたが、左から右への移動のイメージが苦手だった。深いイメージトレーニングは主観的体験から出発する。


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