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パフォーマンス理論 その28 トレーニングとの距離について

Japan In-depth / 2019年7月23日 7時0分

またトレーニング法にも盲信を迫りがちなものがあり、そういったものの見分け方を整理してみると、


・絶対に


・今までにない


・革新的


という単語が入っているものは危険度が高い。人は何かのきっかけで盲信すると、それを強化する情報ばかりを集めるようになり、後戻りしにくくなる。盲信状態に入らないようにするのに有効なのは、教養とそれから友人の多様性だ。知識がなければ頭の中で検討できないし、友人が多様でなければ思考が偏りがちだ。無知は独善である。


一方で、このように何かに盲信することを警戒しすぎると、別の問題を引き起こすこともある。このパターンでよくあるのは、盲信を避け、常に物事を疑い、そうとは言い切れないという立場をとるあまり、信じてやりきるということができなくなってしまうということだ。いわゆる頭でっかちのタイプや、何事も考え込むタイプに多い。


このタイプは研究者としてのトレーニングを積んだ経験のある選手に多かった。私は経験がないので憶測にすぎないが、研究のトレーニングを積んだ人はエビデンスがあるものと、ないもの、自分の仮説と、それから想定される反論をいつも分けて考えている。だから、基本的には言い切ることをしない。ここまではわかっていて、ここからはわからないという謙虚な話し方をする人が多い。


これ自体は競技にも有利に働くが、この客観的な考え方と競技者としての考え方の整理がつけられない場合、競技力向上の妨げになることがある。研究者としての考え方のままだと、そうとは言い切れないと距離を取り評論的になりがちで、いつまでたっても決断して夢中で突っ走ることができなくなる。要は客観的になりすぎていて、夢中になれないし、バカになれず、だから全力が出ない。


競技者とは究極の主体者である。だから実践以外のトレーニングはなく、また疑いを持ちながらよりも信じ込んだ方がトレーニング効果は高い。また競技の世界ではよく理屈はわからないけれど機能するなら、それは機能していると思ってやった方が有利に働く。正しいことを決めてやるよりも、やりながら正しくしていくやり方が競技の現場では往往にして機能する。この辺りが先ほどの盲信とのバランスが難しいところではあるが。


研究者としてのバックグラウンドを持っている選手は、速く走りたいという思いと、自分の理論を証明したい、理解したいという思いの両方を持っていることが多い。特に競技がうまくいかないときはむしろ後者に自分の存在価値を見出してしまい、理論の証明に躍起になることが起きる。誤解のないように言っておくが、研究者になるのであればこれは素晴らしいことだ。あくまで競技者としてトップを目指す上でこの理論の証明に強い執着を燃やすタイプは、その執着心が弊害になる。研究の勝利と、競技においての勝利は勝利条件が違う。競技においてはオリジナルである必要も、理論が解明されている必要もない。自分が信じているものが迷信だったか真実だったのかの証明は未来の研究者に任せればいいだけだ。


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