南相馬市の妊婦内部被爆報告
Japan In-depth / 2019年7月25日 8時52分
この傾向は、時間が経っても変わらなかった。原発事故から4年が経過した2015年においても、全食品を対象とした解析では75%の妊婦が「タイプ1」の行動をとっていた。肉や牛乳においては、「タイプ1」の行動をとる妊婦は45%、38%に低下していたが、米(57%)、野菜/果物(58%)などは2011年とほぼ同じレベルだった。
震災から4年が経過した段階では、福島県内では食材に対する放射線検査体制が整備され、流通している食材に限れば、福島県産食材を食べても内部被曝のリスクはほぼゼロになっていた。2015年の段階で福島県産か否かと産地に拘ることは「過剰な心配」と言っても過言ではなかった。このことは地元紙や地元のテレビを通じて、広く報道されていたが、妊婦は行動を変えなかった。
▲写真 米全袋検査場を視察する野田首相(2012年年10月7日) 出典:首相官邸ホームページ
福島県民が福島県産の農作物や魚介類を避けるのだから、福島県外の人々が福島県産品を避けるのはやむを得ない。こうやって風評被害が拡大していった。
政府や専門家は「風評被害対策には、正確な情報を社会に発信することが大切」というが、問題はそう簡単ではなさそうだ。「正確」な情報は繰り返しメディアで報じられた。一方で、SNSなどを介して「風評」も拡散した。
福島県内で活動する知人の僧侶は「福島県産というのがスティグマとなり、差別を生じている」という。同じような差別はチェルノブイリ事故後のソ連でも存在したようだ。放射線差別の根は深く、世界共通の問題だ。
どうすればいいのか。この差別を解消するための「特効薬」はない。時間がかかる。地道な作業をこつこつとやっていくしかない。我々にできることは、このような調査結果を記録として残し、世界に発信していくことだ。本稿は、そのような活動の一つである。
最後に、南相馬の妊婦を守った医師の事をご紹介して本稿を終えたい。この医師は南相馬市内で前出の原町中央産婦人科医院を経営していた故高橋亨平氏だ。
震災直後、一時的に避難したが3日後には原町に戻り、日常診療を再開した。不安に怯える生活を送っていた妊婦たちを支援した。彼らの最大の不安が被曝、特に内部被曝だった。彼が率先して動いたのが、南相馬市立総合病院への内部被曝検査の導入だ。
本稿では詳述しないが、このことを推し進めるにあたり多くの軋轢が生じた。行政の無策、興味本位の野次馬、多くが彼の前に立ちはだかった。
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