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意外な「日仏関係史」 今さら聞けないブレグジット その4

Japan In-depth / 2019年7月30日 8時57分

煎じ詰めて言えば、先の大戦を知る世代は、戦闘的愛国心を声高に煽る政治家の危険性をよく知っていたし、若い世代は若い世代で、フランスの栄光よりも「国境のないヨーロッパ」の方がよりロマンチックだと考えたのである。



▲写真 街路に築かれたバリケード(1968年5月 仏・ボルドー)出典:Wikimedia Commons; Public domain


かくして1960年代末期のフランスにおいては、折からのヴェトナム反戦運動と連動して反ド・ゴールの大衆運動も盛り上がり、1968年5月には、労働者のゼネストと大規模なデモが起き「パリ5月革命」とまで呼ばれた。これに対し、「共産主義か、ド・ゴールか」とのスローガンで対抗した政権与党は、一度は総選挙で辛勝したものの、求心力の低下は隠しようもなく、翌年ド・ゴール大統領は退陣を余儀なくされる。


ちなみに、このパリ五月革命は、1970年代初期の日本における学生運動・市民運動の盛り上がり=世に言う「政治の季節」にも大きな影響を与えた。


そして1970年代に入るや、ヨーロッパ統合の動きはまたも加速し、やがてEU(欧州連合)の誕生へと至るのだが、これについては次稿でもう少し詳しく見る。


本稿の最後に指摘しておきたいことは、ヨーロッパ統合の牽引役となったフランスの政治家たちが、日本についてはあまりよい印象を持っていなかった、ということだ。これは日本でも有名になったが、1979年に当時のECの内部文書において、日本人のことを「ウサギ小屋で暮らす仕事中毒」と表現していたことが明るみに出た。日本人は、自虐的なジョークが存外好きなのか、ウサギ小屋という言葉が流行したりしたが、単一通貨ユーロの導入など、EUの試みがあまり高く評価されていないように見受けられるのは、過去にこういうことを書かれたことも、もしかしたら関係しているのかも知れない。


次回は、EUの初代委員長ジャック・ドロールを紹介し、併せて時の英国首相マーガレット・サッチャーとの確執について見ることにしよう。


(その5につづく。その1、その2、その3)


トップ写真:EU旗 出典:flickr; Global Panorama


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