「鈴木貫太郎親衛隊」陸軍クーデター部隊と攻防 70年目の証言“黒幕”は四元義隆 下
Japan In-depth / 2019年8月21日 11時0分
出町譲(経済ジャーナリスト・作家、テレビ朝日報道局勤務)
「出町譲の現場発!ニッポン再興」
【まとめ】
・陸軍分隊が官邸に押しかけ、鈴木貫太郎首相暗殺を宣言。
・首相の私邸に親衛隊が急行。偶然が重なり、間一髪脱出に成功。
・首相も親衛隊も「戦争を終わらせるため」に命を懸けた。
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そして日本の運命が決まる昭和20年8月14日。御前会議で、天皇陛下はポツダム宣言受諾を最終決定した。すべての閣僚が終戦詔書を署名したのは、午後11時すぎになっていた。その後、日本政府は、連合国側にポツダム宣言受諾を伝えた。
▲写真 ポツダム宣言受諾による降伏を決めた御前会議(1945年8月14日)出典:パブリック・ドメイン
北原は1日中、貫太郎のそばに張り付いていたが、官邸で書記官長、今でいう官房長官の迫水常久と出会った。迫水の耳元で、「今晩陸軍が蜂起し、官邸を襲うという情報が入っています」とささやいた。迫水は北原に本音を漏らした。「今日は総理の私邸に行かずに一緒に泊まっていただけないか」。北原はむげに断るわけにはいかない。総理官邸でしばらく過ごすことにしたが、朝まで総理を放置するわけにはいかない。迫水には、「午前4時に車を用意してくれませんか。その後は、総理の私邸に向かいます」と言った。
▲写真 迫水常久内閣書記官長(1960年代頃撮影)出典:パブリック・ドメイン
しかし、迫水と約束したのに、車は来ない。何かの手違いか。北原は苛立ったが、何より、貫太郎の私邸に駆け付けることが先決だ。そこで車を借りるため、長松らを連れ、桜田門の警視庁に向かった。
長松は途中、官邸の門で、陸軍の一個分隊10人の姿を見た。軍人たちは「への字」の形で並び、いつでも銃弾を撃てるように準備していた。北原は長松に対して「よそ見をせずまっすぐ歩いてついて来い」と指示した。この陸軍の分隊は、東京警備局横浜警備隊長の佐々木武雄が率いており、横浜高工の学生らも参加していた。佐々木は官邸で警察官に拳銃を抜いて「国賊を殺しに来た。はむかうものはただちに殺すぞ」と言い放ち、貫太郎暗殺を宣言した。それに対し、警察官は「総理はいま丸山の私邸に戻りました。あちらを襲撃すればいい」と告げた。当時の警察官は士気が落ちており、反乱軍から総理を守ろうという気概はなかった。
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