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「鈴木貫太郎親衛隊」陸軍クーデター部隊と攻防 70年目の証言“黒幕”は四元義隆 下

Japan In-depth / 2019年8月21日 11時0分

大通りを走っていた佐々木ら襲撃隊の車は、もうすぐそばにいた。しかし、大通りに面した総理私邸が質素なため、通り越していた。大通りの坂の上には、大きな豪邸があり、そこが総理私邸だと勝手に思い込んでいたのだ。


そして、もう一つの偶然が重なった。普段なら総理専用車は方向転換して大通りに面して駐車していたが、この日は、私邸に隣接する左折した道に頭から突っ込んでいた。そのため、総理専用車は裏道をそのまま進んだ。大通りを進んでいたならば、襲撃隊の車と鉢合わせとなった。


佐々木ら襲撃隊はタッチの差で、総理私邸に到着。「総理はどこにいる」と言いながら土足で私邸に上がり込んだ。そして、一部屋一部屋を押入れまでチェックし、そのあとガソリンをまいて、火をつけた。鈴木の家は全焼した。空襲にも焼け残った家が灰塵に帰した。消防団が駆けつけたが、「国を売った総理の家に水をかける義理はない」といって本気で消防活動に当たらなかったという。


長松は長い話に多少疲れたようだったが、私にもう一つ見せたいものがあると言って、仏壇の引き出しを開けた。そこには、古い色紙が入っていた。


「自彊不息(じきょうやまず)」。


それは鈴木貫太郎の書で、たゆまぬ努力を続けることの大切さを説いたものだ。鈴木貫太郎は終戦の後に、親衛隊のメンバーを官邸に呼び、一人一人に直接、色紙を手渡した。そしてメンバーに対し、「戦争が終わり平和になった。君たちは若い。これからの日本に平和が継続するために頑張ってほしい」と語ったという。


鈴木貫太郎は昭和11年の「2・26事件」の際、陸軍のクーデター部隊に襲われ、3発の銃弾を受けている。平和の尊さを最も痛烈に認識している男だ。死の直前「永遠の平和、永遠の平和」と繰り返し語った。



▲写真 鈴木貫太郎の墓。昭和23年4月17日「永遠の平和」の一語を残し、82歳で死去。出典:野田市ホームページ


長松はインタビューの最後にこう語った。「戦争は始めるのは簡単ですが、終わらせるのは大変なのです。鈴木貫太郎閣下も、四元義隆先生も、そして末端の私も、みな戦争を終わらせるのに命を懸けました」。



▲写真 長松幹栄氏 出典:筆者提供


戦後74年。今の日本の繁栄は、先人たちの命がけの行動が土台となっている。それを忘れてはいけないと思う。


(上の続き。全2回)


トップ写真:鈴木貫太郎首相(在任時)出典:国立国会図書館


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