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「鈴木貫太郎親衛隊」陸軍クーデター部隊と攻防 70年目の証言“黒幕”は四元義隆 下

Japan In-depth / 2019年8月21日 11時0分


▲写真 旧首相官邸(現在は首相公邸として使用)に陸軍反乱軍が押しかけた。出典:首相官邸ホームページ


長松は気になって仕方なかったが、後ろを振り向かずに進んだ。警視庁に到着すると、北原は「俺は内閣のものだ。官邸が襲撃された。総理私邸まで車を出してくれ」と頼んだ。警視庁は事態が緊迫していることを察知し、すぐにガソリン車のオープンカーを用意してくれた。運転手は警視庁の関係者で、助手席には長松が座った。この運転手は幸いにも、総理私邸付近の地理を熟知していた。


ところが、車が二重橋前に差し掛かろうとした際、銃を持った兵士が「とまれ」と叫んだ。車は仕方なく、止まった。「ここから一歩でも動いてみろ。殺すぞ」。一人の兵士は、銃先を車に突きつけてきた。北原はふいに「右に回れ」と大声で叫んだ。車が急発進し、兵士たちは道を開けた。車はそのまま、フルスピードで総理私邸に向かった。この兵士たちは、その前に遭遇した部隊とは別だった。近衛師団所属の反乱軍だった。正午に放送される予定の「玉音放送」の録音盤を奪おうとしていたグループだ。



▲写真 玉音盤(副盤)。NHK放送博物館所蔵。出典:Wikimedia Commons;利用者:Sphl


北原は、この反乱軍が占拠している宮城前の広場を通るのは無理だと思い、宮城を逆回りすることにした。三宅坂、半蔵門から靖国通りに入り、九段を抜けて、小石川丸山町へ急行するルートだ。車が飯田橋まで来た際、付近で乗用車とトラックが見えた。三角青旗を立てていた。佐々木らの部隊はこの2台に分乗していた。一方、北原は警視庁の運転手に「なんとか、あの車より早く到着してくれ」とせっついた。運転手は裏道を猛スピードで走る。大塚仲町を経て、総理私邸に到着した。


ちょうどそのころ、鈴木貫太郎は私邸から脱出しようとしていた。官邸から、襲撃隊が私邸に向かっているとの電話連絡があったからだ。長松の目撃証言によれば、北原は貫太郎の私邸に到着し、土足のまま家の中に入った。そして、貫太郎の腕を引っ張って、玄関の外に連れ出した。高齢の貫太郎はやっと車に乗り込み、北原も同乗した。


ところが不運が起きる。ガソリンの質が悪く、エンジンがかからなかったのだ。長松は思い出す。「坂道だったのですが、親衛隊と警備の警察官がみんなで車を押してやっとエンジンがかかりました」。


ぎりぎりのタイミングで貫太郎は脱出できた。それは「偶然の産物」だった。


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