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急成長ウズベキスタン訪問記

Japan In-depth / 2019年9月20日 18時0分

急成長ウズベキスタン訪問記


嶌信彦 (ジャーナリスト)


「嶌信彦の鳥・虫・歴史の目」


【まとめ】


・ウズベキスタンに今なお残る日本人捕虜が建設した『ナボイ劇場』。


・『アラル海』の砂漠化は自然改造で引き起こされた環境破壊の一つ。


・再燃しつつあるウズベキスタンの観光人気。


 


【注:この記事には複数の写真が含まれています。サイトによっては全て表示されないことがあります。その場合はJapan In-depthのサイトhttps://japan-indepth.jp/?p=48004でお読みください。】


 


中央アジアのウズベキスタンへ行ってきた。今回は私が会長を務める『NPO法人日本ウズベキスタン協会』の20周年記念旅行で、9月6日から13日までの8日間の訪問だった。会員と一般募集で募った約30人が参加し、和気藹々の実に楽しい旅だった。年配のご夫婦をはじめとして、中堅や20~30代の若手も交じり、普段ではなかなか一緒に旅行する機会のないメンバーでの旅行となった。


 


■ 日本人捕虜が建てた『ナボイ劇場』を見学


週二便のウズベキスタン航空で成田から直行し、9時間半ほどで首都タシケントに到着。翌日は敗戦直後に旧ソ連によって満州から連れて来られた日本兵捕虜457人がウズベク人とともに2年間かけて建設した伝説の『ナボイ劇場』(オペラハウス)や日本人墓地、現地のジャリル・スルタノフ氏がコツコツ集めた資料を展示している日本人抑留者資料館を見学した。抑留当時の貴重な建設の様子などを8ミリフィルムで撮影した映像や資料を拝見したり、ウズベキスタンの歴史博物館なども訪れた。



▲写真 ナボイ劇場で参加者の皆様と 出典:著者提供


今回の旅行には、隊を率い、ウズベク人を指導しながらビザンチン風の3階建て『ナボイ劇場』を建設、完成させた永田行夫隊長のご子息である永田立夫氏も参加されており、感慨深げだった。立夫氏によると父の行夫氏は生前、捕虜時代のことをあまり詳しく話されなかったため古い映像や資料を見て苦労の実情がわかったという。


また、永田隊長は『ナボイ劇場』を建設するに当たり「捕虜として労働させられるのだから適当に作っておけばよいという考え方もあるだろうが、この劇場が今後数十年も残ることを思ったら日本人として恥となるような仕事はせず、後世にも名が残るような立派な建物を作ろう」と収容所の仲間に呼びかけた。


その後、1966年にタシケント大地震がありタシケントの街がほぼ全壊した時、『ナボイ劇場』だけは悠然と建ち続け、その名を中央アジアにとどろかせたのだ。日本ウズベキスタン協会では、2001年に設立10周年の記念イベントとして日本のオペラ『夕鶴』を企画、主催し、建設に関わられた方々がオペラ終了後に『ナボイ劇場』の舞台に立たれたこともあるだけに、懐かしさも一杯だった。


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