令和時代になぜ憲法改正 その3 改憲を求めるアメリカ
Japan In-depth / 2019年10月16日 18時0分
▲写真 アフガニスタンに展開するソ連軍(1984年)
出典: Wikimedia Commons; Public domain
アメリカの時のジミー・カーター大統領はそれまでの自分の対ソ連観がまちがっていたと宣言し、ソ連の軍事膨張へのグローバルな対抗策をとった。その際に日本に対しても防衛費を「着実かつ顕著に増加してほしい」と要請するようになった。それまでの対日安保政策からは画期的な変化だった。ただし日本はその要請にほとんど応じなかった。
▲写真 ジミー・カーター第39代大統領(1977年1月)
出典:Wikimedia Commons; Department of Defense. Department of the Navy. Naval Photographic Center (Public domain)
その後の1980年代は日本経済の膨張の時期でもあり、アメリカには日本からの自動車、電気製品など良質で廉価の商品がどっと入り、米側企業が退潮した。日米貿易摩擦である。この時期には日本が防衛面でソ連の脅威に対応する負担を果たさないという米側からの抗議が起きた。日本の防衛面での「ただ乗り」非難だった。
だがそれでも日本は東西冷戦中、自国の防衛は日米同盟によってアメリカに依存するという基本枠組みを保ち続けたのである。憲法9条による自国防衛の欠落をアメリカの軍事力で補うということだった。アメリカ側でもこの枠組みを保ち、日本の防衛の負担を肩替わりする意図は揺らいでいなかった。
ところがアメリカ側では1991年ごろから日本の防衛政策に対して、より公然とした不満を表明されるようになった。この年はソ連の共産党政権が完全に崩壊した東西冷戦の終わりを画していた。国際的な脅威の形態や特徴が変わってきたのだ。
1991年1月からの第一次湾岸戦争ではクウェートを軍事占領したイラク軍を撃退する多国籍軍の先頭に立ったアメリカは日本にも直接の貢献を求めた。だが憲法により集団的自衛権の行使も海外での戦闘もできない日本は非軍事要員の派遣さえできず、カネだけを払った。日本のこの態度は国際的に「小切手外交」として冷笑された。日本は国際平和のためにも、同盟国支援のためにも、実際の防衛行動はとらない身勝手な異端の国とレッテルを貼られるようになったのである。
▲写真 湾岸戦争、砂漠の嵐作戦。米空軍戦闘機(1991年)
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