令和時代になぜ憲法改正 その4 カラスも行使する集団的自衛権

Japan In-depth / 2019年10月18日 19時0分

この主張は人間の生命の本質に反する政治デマゴーグを思わせる。なぜなら自分の生命に危害が襲う際に自分を守らないのはふつうの人間ではない。生きるという行為はその行為の否定を否定することが不可欠なはずだ。


極端にいえば、命ある人間が自分の肉体にナイフが刺されるそのプロセスを熟視してもそれを黙視するだけで、阻止してはならない、というのがすべての戦いの禁止論なのだ。


人間だけではない。カラスもリスも自分の生命を守るためには戦う。いや自分だけでなく、子を守るために外敵と戦う。冗談ではなく、カラスもリスも個別の自衛権だけでなく、集団的自衛権をも行使するのだ。自分が攻撃されていなくても、愛する子への襲撃を防ぐために戦うのである。


これはもうほぼ冗談の領域だが、先日、朝日新聞にある種のアブラムシの生態についての記事があった。


木の株の内部に生殖するそのアブラムシ集団は外部から外敵が木株に穴を掘って侵入しようとすると、うちの一匹が自分の全身をその穴の出口に貼りつけ、みずからを犠牲にする危険を冒して残りの仲間のアブラムシの生命を救うのだという。


これも自衛の戦いではないか。日本のいわゆる護憲派はアブラムシにも戦いは危険だからそんな抵抗はするなと指示するのだろうか。自己に対する危険を物理的に防ぐこと、つまり戦うことを、すべて事前に禁止するというのはこのように自然の摂理、生命の摂理にも反するのである。


「平和」という言葉を叫ぶことで憲法改正に反対する勢力のさらなる欠陥は国際環境を無視する点だと思う。国家にとっての平和とは国内の治安だけではない。戦争がない状態が平和であれば、問題となる状況は国内の治安ではなく日本と外部勢力との関係となる。



▲写真 首相官邸前でのデモ (2014年6月30日)出典: Flickr; midorisyu


つまり平和か否かは日本にとって外国との武力衝突、あるいは武力での威嚇がない状態が第一義となろう。だから日本を取り巻く国際環境、つまり外国の動向がどうであるかが平和か否かのカギとなるのだ。


だがいま日本国内で「戦争は絶対によくないから改憲はよくない」と主張する側は日本の国外の情勢に触れることがまずない。一国平和主義なのである。


だが現実には平和というのは一国と他国との関係を指す。だから日本の外部の状況を考えない日本の平和というのは矛盾であり、虚構だといえる。


令和の新時代の憲法論議にはアメリカの動向だけでなく、こうした国際的な視点をも踏まえての現実的な姿勢が欠かせないと痛感する次第である。


(シリーズ了。その1、その2、その3。全4回)


 


【註】この記事は日本戦略研究フォーラム季報(2019年10月刊行)に掲載された古森義久氏の論文の転載です。4回にわたって掲載しました。


トップ写真:日米共同統合演習(2016年)出典:防衛省統合幕僚監部ホームページ


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