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尾道空き家再生プロジェクト(下)行政を巻き込む

Japan In-depth / 2019年10月21日 18時33分

尾道空き家再生プロジェクト(下)行政を巻き込む


出町譲(経済ジャーナリスト・作家、テレビ朝日報道局勤務)


【まとめ】


・町全体が観光資源の欧州に対し、日本はどこも同じ風景。


・市の「空き家バンク」事業引継ぎ、移住希望者と空き家を繋いだ。


・町の良さを見直すことが、空き家問題解決への第一歩。


 


尾道生まれの豊田は都会に憧れ、大阪の大学に進学した。ワンルームマンションに住み、都会暮らしが始まった。高層ビルや地下鉄などを目にしながら、思いを馳せたのは、故郷尾道市だ。車のない時代に造られ、家が隣接している。隣家の人の気配を感じながらの生活をしていた。


卒業後、旅行代理店に就職し、添乗員となった。一年の半分以上は海外で生活した。ヨーロッパを訪問する機会が増えた。


そこで目にしたのは、古い建物を生かした街づくりだった。「ヨーロッパでは地域の人が特別な観光地スポットがなくても、町自体が観光資源になっているのです。自分たちの古い町に誇りを持っています。そして世界中の旅行者が、その町が好きで観光に訪れます。一方、日本ではどこの地方でも、チェーン店などが立ち並んでいる。同じ風景なのです」。


28歳の時にUターンした。尾道で生活しながら、空き家購入のために動いた。海外で泊まったゲストハウスのような宿泊施設を運営したいと考えた。


しかし、傾斜地に建つ空き家はほとんど価値がないため、不動産店も扱ってはいない。とにかく自分で歩いて、大家さんを探し、空き家を見学した。ただ、なかなかいい物件は見つからない。空き家を再生するにも、社会人時代に貯めたお金ぐらいしかない。


その時、友人から「腕のいい大工」と紹介された人物がいる。それが、夫となった訓嘉(くによし)だった。「いざとなれば、夫に改修をお願いできる。空き家改修のため『政略結婚』のようなものです」と笑い飛ばす。


 


・最初の空き家はガウディハウス


空き家探しを始めて6年が経過した。2007年5月、34歳の時、一つの建物を見学した。傾斜地に建つ木造2階建ての和洋折衷の建物だった。一目見て、ほれ込んだ。


「大家さんに中を見せてもらったところ、埃だらけで中は朽ち果てているところもありましたが、これぞ尾道の“地域遺産”だと思いました。『解体する予定だ』と言われたので、買い取りました。」


それがガウディハウスと呼ばれる建物だった。1933年に完成した旧和泉邸だ。10坪の建物の内部には、当時流行した技法が散りばめられている。スペインの建築家、アントニ・ガウディの造りに似ているため、ガウディハウスと呼ばれている。昭和初期に1人の大工が3年かけて作り込んだ建物だった。


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