私のパフォーマンス理論 vol.42 -引退-
Japan In-depth / 2019年12月21日 7時0分
為末大(スポーツコメンテーター・(株)R.project取締役)
【まとめ】
選手には必ず引退の時が来るため、それを受け入れる必要がある
引退後の人生で重要なことは、新しいアイデンティティを見つけること
アイデンティティとは自分の能力の発揮ではなく、何かの役割を果たしているという感触からくるもの
選手には必ず引退の時が来る。人生を賭けてきたものが失われるのは辛く寂しい。理屈上は引退をしない人生もあるが、少なくともどの選手もいつかはトップの世界では戦えなくなる。選手はその時を受け入れなければならない。
引退を決意するきっかけは選手それぞれだ。競技人生そのものよりも、むしろ引退の時に私は選手の価値観が現れると思っている。美しいまま引退したい人も、ボロボロになりたい人も、次の人生が始まるから引退する人もいる。私の実体験をもとに引退前後でどのような心の動きがあるかを書いてみたい。
まず、引退を考え始めたのは28歳の時だ。最初は30歳の北京五輪で引退しようと思っていた。ところが、実際に北京の前年の大阪世界陸上と、北京五輪は両方うまくいかなくて予選で敗退した。北京の前にはアキレス腱に三度痛み止めを、左膝に二度痛み止めを打った。間を空けずに打つと腱を弱めるという説明を受けたがこれが最後だと思い打った。私はコーチを自分でやっていたから、北京の後はもう厳しいというのは頭では分かっていた。一方で、競技者である自分はこのまま終わりたくないと強く思っていた。最終的に競技者の自分が勝ち、現役を続けることにした。
引退前の4年間は毎日気持ちが揺れ動いた。ある時はもう俺は終わりなんじゃないかと思い、ある時は俺ならまだやれると強気になる。1日の間にこの二つの感情の間を何度も揺れた。私は最初の五輪からずっと代表になっていたが、初めて代表を外したのが33歳のときだった。これはショックだった。さらにこの頃ショックだったのは1台目のハードルまでのタイムに狂いが生じたことだ。5″7だと思ったら5″8だったり、何度走ってもこのぐらいだと思ったタイムと0.1秒ずれるようになった。私は世界に出ていくために、とにかく一台でもいいから世界一になるということを目標に、スタートを磨いてきた。それが武器だったし、自信もあった。もしスタートが通用しなくなったのなら、何を頼りにしていいかわからなくなった。もしかするとこの時に既に私の心は折れていたのかもしれない。
この記事に関連するニュース
-
岩手から母と二人で世界へ…パラ陸上小野寺萌恵 。YouTubeが14歳に見せた「夢」を叶えるとき
集英社オンライン / 2024年7月3日 11時0分
-
「ほんとに苦しくて…」 清水の舞台から飛ぶ覚悟で涙、陸上・田中佑美が0秒03差で逃した日本一【日本選手権】
THE ANSWER / 2024年7月2日 7時43分
-
競泳日本代表を18年務めた、入江陵介さんの最後のレース「悔しさより感じたのは...」
PHPオンライン衆知 / 2024年6月27日 12時0分
-
我々はどう生き、死ぬのか「考え続けようではないか」 アスリートの私が記す「人が生きる意味」【田中希実の考えごと】
THE ANSWER / 2024年6月27日 10時33分
-
「死んでもいいから生きたい」 走る私が抱えた究極のエゴ、その発端は享年24歳の偉人ランナー【田中希実の考えごと】
THE ANSWER / 2024年6月26日 11時3分
ランキング
-
1【ワークマン】着るだけで“虫を寄せ付けなくなる”と話題の「新商品」をアウトドアで試してみたら…!
オールアバウト / 2024年7月5日 17時15分
-
2【バスケ男子】日本 八村&渡辺雄が欠場の中で韓国に1点差の敗戦…ホーバス監督の“喝”で猛追も実らず
スポニチアネックス / 2024年7月5日 20時58分
-
3ヤクルトは今季初の2桁失点でリーグ最速40敗 先発・小川は4敗目 高津監督からは厳しい言葉
スポニチアネックス / 2024年7月5日 22時1分
-
4【F1】〝暴言癖〟改善中だった角田裕毅 差別発言騒動に小倉茂徳氏「契約解除にならなかっただけ、まだよかった」
東スポWEB / 2024年7月3日 5時18分
-
5衝撃トレードにあった“盲点” 史上初の発想にファン驚愕…「想像もしてなかった」
Full-Count / 2024年7月5日 18時24分
複数ページをまたぐ記事です
記事の最終ページでミッション達成してください
![](/pc/img/mission/mission_close_icon.png)