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「兵糧蔵」とは 福島相馬市リポート その1

Japan In-depth / 2020年1月20日 20時18分

「兵糧蔵」とは 福島相馬市リポート その1


田原大嗣


【まとめ】


・インターンシップでは与えられた機会を最大限に吸収すること。


・相馬市は「伝統」と「柔軟さ」が絶妙なバランスで同居。


・災害復興を支えるのは「義理と人情」による関係の広がり。


 


令和元年12月1日、私は福島県相馬市に降り立った。翌日から始まる、相馬市役所と相馬中央病院での1ヶ月間のインターンシップに参加するためだ。かねてよりインターンシップに参加していたNPO法人医療ガバナンス研究所の上昌広先生のご紹介にて、相馬市長の立谷秀清先生より行政・医療の現場にて活動する機会を頂いた。


相馬駅に着くと、相馬市役所の横山英彦秘書課長が迎えに来て下さり、まず宿舎をご案内された。宿舎を用意して頂けるだけでも有難いのだが、なんと暖房完備、Wi-fi完備。普段住んでいる東京の下宿以上の環境であった。さらには、相馬中央病院の佐藤美希総務課長が、通勤用にと自転車をお貸しして下さった。


このような「至れり尽くせり」の状況で始まったインターンシップで、当初私は「ここまで良くしていただいているのだから、相馬市にできる限りの貢献をしていこう」と、過分に殊勝なことを考えていた。しかし、様々な体験をさせていただく中で、自分が学生としてすべきことは、与えられた機会を最大限に吸収することにあると考えるようになった。


その考えが最初に生まれたのはインターンシップ1日目、市役所のすぐそばにある相馬中村城跡を横山課長と共に見学した時である。かねてより、上先生には「土地の歴史」をよく勉強するように指導を受けてきた。相馬地域は、相馬氏によって鎌倉時代から幕末までの約700年間、全国でも屈指の長期間にわたり同一大名による統治が為された地域ということは学んでいた。しかし、実際に現地を自らの足で歩いてみると、違った感慨がある。例えば、相馬中村城は、北側の堀が他の方位に比べて広い。これは、北の仙台藩、伊達氏に対する防衛手段であったという。石高では敵わない仙台藩に対する長年の駆け引きを、相馬中村城の天守閣跡から感じた。こうした重厚な歴史を、現地を見て人々と交流することで学び取ることが、自分のインターンシップでの大きな課題であると感じた。


相馬の歴史は、そのまま現在の町そして人の在り方に影響を及ぼしている。1ヶ月にわたり、薄く広くではあるが学んだ結果、相馬市は「伝統」と「柔軟さ」が絶妙なバランスで同居している土地であると感じた。


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