1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. 社会
  4. 社会

「またしても」中止?(下)嗚呼、幻の東京五輪 その3

Japan In-depth / 2020年7月26日 11時0分

「またしても」中止?(下)嗚呼、幻の東京五輪 その3


林信吾(作家・ジャーナリスト)


「林信吾の西方見聞録」


【まとめ】


・1940年の東京五輪は軍部の反対などで開催権返上。


・中国との戦争長期化で物資ひっ迫、各国からの開催地変更要求により1937年、開催権返上。


・1938年サッカーワールドカップ・仏大会も戦争により出場出来ず。


 


1940年9月21日から10月6日までの日程で行われるはずであった東京五輪については、多くの年表に「戦争のため中止」と記されている。


厳密に言うと、これではいささか正確さに欠ける表現で、東京は招致に成功したものの、軍部の反対など国内事情により開催権を返上し、あらためてヘルシンキが開催地に選ばれた。ところが1939年9月に第2次世界大戦が勃発したことにより、ヘルシンキでの大会も中止となってしまったのである。


実は「戦争のため中止」は、これが最初ではなかった。1916年にはドイツ帝国時代のベルリンで第6回大会が予定されていたが、こちらは第1次世界大戦のため中止となった。「幻の東京五輪」に続いては、1944年にロンドン五輪が予定されていたが、こちらも中止となり、戦争終結後の1948年に繰り延べされている。この時、敗戦国である日独は参加を認められなかった。


ただしIOCの規定では、戦争などの理由で中止となった場合でも、開催回数は第1回アテネ大会からの通し番号となるため、東京とヘルシンキはどちらも第12回大会の「みなし開催地」と記録されている。


前に、当時は夏季と冬季の五輪が同じ年に開催されることとなっていた、と述べたが、1940年の冬季五輪には札幌市が名乗りを上げ、こちらも誘致に成功していた。


つまり、1940年の五輪は、本来ならば夏季・冬季ともに初めて欧米以外での開催となっていたはずなのだ。


それがどうして「戦争のため中止」と記録されるに至ったのか。戦前の話ではなかったのか、と思う向きもあるかもしれない。


たしかに戦後生まれの多くの日本人にとって、先の戦争と言えば1941年12月以降の日米戦のことと認識されがちだ。太平洋戦争という呼称が、そのことを象徴している。


実はそれに先駆け、1937年より中国との間で、宣戦布告なき戦争状態に入っていた。



▲写真 上海近隣地区に展開した中国の精鋭部隊 出典:Photo album (between p. 144 and p. 145) in Peter Harmsen, Shanghai 1937: Stalingrad on the Yangtze, Casemate, 2013


この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

複数ページをまたぐ記事です

記事の最終ページでミッション達成してください