「またしても」中止?(下)嗚呼、幻の東京五輪 その3
Japan In-depth / 2020年7月26日 11時0分
この年の7月7日、北京郊外の盧溝橋という場所で起きた、偶発的な銃撃戦をきっかけに、たちまち戦闘が拡大したのだが、日中(当時は中華民国=蒋介石政権)ともに宣戦布告は見合わせていた。これは五輪とは関係ないが、当時すでに戦時国際法が制定されていたため、日本としては経済制裁を受けるリスクが、中国としても外国製兵器を入手できなくなるリスクがあったためだと言われる。
このため日本側では、当初は北支事変、後に支那事変と呼ぶようになった。
その後の経緯は昭和の戦史そのもので、とてもここで詳しく述べることはできないが、煎じ詰めて言うなら日本の思惑に反して、米国が経済制裁を課してきたことから、ついには太平洋における日米戦争に至るわけだ。
こうした背景から、当時の軍上層部は、五輪開催に対して、
「国富と人的資源の、壮大な無駄遣いだ」
と考えるようになっていったのである。政界においても、
「現在の一触即発の国際情勢に照らすと、五輪開催は適当ではない」
との意見が聞かれるようになった。その代表格が政友会の重鎮・河野一郎であったが、彼は戦後、池田隼人内閣で副総理・国務大臣(1964年東京五輪担当!)の座につく。ちなみに次男が河野洋平・元自民党総裁で、孫が河野太郎・防衛大臣である。
▲写真 河野一郎氏 出典:時事画報社「フォト(1961年6月15日号)」より。
いずれにせよ、当初は短期間で片付くと考えられていた中国との戦争状態が長期化し、鉄鋼をはじめとする戦略物資の需給がひっ迫してきた上に、国際的にも「事変」を理由に開催地変更を求める声が高まってきた。これを受けて時の近衛内閣は、1937年7月、正式に開催権を返上。これにより準備に費やされた100万円近い資金は無駄になった。
また、1936年のベルリン五輪で試験的に行われたTV中継を実用化できないかと、研究に着手していたのだが、この話も立ち消えとなっている。
ただ、東京ー横浜間の道路が整備されたり、勝鬨橋が建設されるなど、関連事業としての公共投資はインフラとして残されているし、駒沢のオリンピック村や、戸田漕艇会場は1964年東京五輪でようやく日の目を見た。
もうひとつ、戦争のせいで参加を見送らざるを得なかったイベントがある。
サッカーのワールドカップだ。
第1回は1930年ウルグアイ大会で、同国の独立100周年を記念して開催されたものだが、サッカーの本場と見なされてきたヨーロッパと、当時台頭著しかった南米が、交互に世界大会を開くことで切磋琢磨しよう、というのが、そもそもの趣旨であったと伝えられている。
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