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イラクのクウェート侵攻30年と日本の屈辱

Japan In-depth / 2020年8月8日 23時0分

このマルタ島での歴史的な首脳会談も私はワシントンから取材に出かけた。現地ではゴルバチョフ、ブッシュ両首脳が実際に会談する旅客船上に乗って、その会談の始まりを目前で見聞するという10数人の記者による代表取材にも選ばれるという幸運を得た。


 アメリカとソ連との長年の対決が終わりに向かえば、世界はまちがいなく平和や安定へと歩むだろうと、だれもが思っていた。


 国際情勢のそんな地殻変動の中でのイラクの軍事侵略だったのだ。


その背景にはペルシャ湾岸でアメリカがソ連の脅威の後退に応じ臨戦態勢を緩めたことにフセイン大統領がつけこんだという要因もあった。東西冷戦の緩和が逆に地域の紛争や戦争を引き起こしやすくなる、という歴史の皮肉でもあった。


 イラクのクウェート軍事占領に対してブッシュ政権は国連に呼びかけ、イラクの侵略への経済制裁と軍事力行使容認の決議を取りつけていった。その決議を基礎に各国に多国籍軍への参加を求めた。


ブッシュ大統領はアメリカ国内でも予備役召集など軍事行動への準備を進めた。


 なにしろイラクの侵略性や無法性があまりに明白だった。だからアメリカの行動を国際正義とか大義として同調する国が多かった。アメリカ国内でもイラク糾弾は超党派の強いコンセンサスとなった。 


だがイラクはクウェートに数十万の部隊を駐留させ、武装を強化して、撤退の求めには応じなかった。


アメリカは米軍部隊をクウェート周辺に配備し始めた。


私も11月下旬、ブッシュ大統領の同行取材でクウェートのすぐ南、サウジアラビアのダーラン地区に集結した米軍の大部隊をみた。


戦闘服の男女将兵がブッシュ大統領を取り囲み、熱をこめて語りかける様子は米軍全体の士気の高さを感じさせた。なにしろアメリカとしては珍しい国内でのコンセンサスに近い圧倒的な支持を得ての軍事行動だったのだ。



写真)サウジアラビアの米兵を慰労するブッシュ大統領 1990年11月22日


出典)米国防総省 Photo By: Courtesy of George Bush Presidential Library and Museum


 


1991年1月には米軍主体の多国籍軍によるイラク軍への空爆作戦が火を噴いた。そしてそのすぐ翌月の2月、わずか100時間の地上戦闘で多国籍軍はクウェートを占拠していたイラク軍部隊を撃破した。米側はクウェートから敗走するイラク軍をイラク領内までは追撃しなかったが、フセイン政権は軍事的には完全に屈服していた。


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