日ロ平和条約の不都合な真実 安倍首相の「心残り」(中)「ポスト安倍 何処へ行く日本」
Japan In-depth / 2020年9月9日 18時0分
林信吾(作家・ジャーナリスト)
「林信吾の西方見聞録」
【まとめ】
・鳩山一郎氏はソ連との国交回復、多くの元日本兵の帰還を実現。
・ロシアは日本に「前提文書」の作成を要求。
・「安倍外交の継承」にこだわる限り、日ロ平和条約の締結はない。
退陣を表明した安倍首相の二つ目の心残りは「日ロ平和条約」であるという。
第二次世界大戦後、世界は米国とソ連それぞれの勢力圏に分割され、全面戦争までは起きなかったが、各地で地域紛争や内戦が繰り返される「冷戦」の時代となった。日本は、米軍を主体とする連合軍によって占領されていたが、1951年のサンフランシスコ講和条約によって独立を回復した(沖縄や小笠原諸島は、この時点では米国の施政下に置かれたままであったが)。
ただ、この条約にソ連は署名していない。早い話がソ連との間では、公式に戦争の終結を宣言する条約は締結されなかったのである。
実はこの講和条約をめぐり、時の東大総長・南原繁は、ソ連も含めた「全面講和」を主張していたが、米国との講和を急いでいた吉田茂からは「曲学阿世の徒」と非難された。
俗世におもねるエセ学者、といったほどの意味だが、要は理想論を掲げて学者が政治に口を出すのはよろしくない、と言いたかったようだ。南原総長も言われっぱなしではなく、戦前、軍部が多くの学者を同じ言葉で非難し排斥してきた実例を挙げ、吉田首相の「官僚的体質」に反撃する文書や声明を幾度となく出している。
その後、1954年から55年にかけて首相の座にあった鳩山一郎は、ソ連との和平交渉に取り組んだが、これはどちらかと言うと、当時シベリアに抑留されていた元日本兵(断じて捕虜ではない。国際法を無視したソ連軍による虐待である)の早期帰還を目指すことに主眼を置いたものであった。結果、平和条約締結こそ成らなかったものの、ソ連との国交回復、それに伴う多くの元日本兵の帰還を実現し、それを花道に政界を引退している。孫である「もう一人の鳩山首相」とは、出来が違っていたようだ。
▲写真 鳩山一郎氏 出典:パブリックドメイン
その後も、平和条約締結への動きがなくなったわけではないが、よく知られるように北方領土問題がネックとなって、実現には至らなかった。
しかし1991年、ソ連邦が崩壊したこともあって、冷戦構造を清算しようという機運が高まってきた。東西ドイツの統一も実現し、極東においても、新たに誕生したロシア連邦(以下ロシア)は日本との講和条約締結に、少なくともソ連との比較で言えば、前向きな態度を示し始めた。
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