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晴れることなきロス疑惑(上) 再論・「正義」の危険性について その2

Japan In-depth / 2020年10月31日 23時14分

報道が過熱する中、一時期ロンドンに滞在していたのだが、その時のエピソードを後に週刊誌で語った際に、再婚した奥さんのことを自慢するつもりだったのか、





「僕が日本食しか駄目なことを知って、大豆を買ってきて味噌や醤油まで手作りした」





などというトンデモ発言があったからだ。





これは1985年のことで、当時すでにロンドンに住んでいた私は、市内に日本食料品店がたくさんあることを知っていたし、そもそも大豆を買ってきたらすぐに味噌や醤油にありつけるものか否かくらい、常識で分かりそうなものではないか。





そうではあるのだが、その後の捜査当局および裁判所の対応には、釈然としないことが多かった。





1985年9月、警察はまず、前述のホテルでの殴打事件で、三浦氏と、直接実行犯であることを告白した愛人の元ポルノ女優(今で言うAV女優)を殺人未遂容疑で逮捕。その後、三浦氏を銃撃事件の主犯と断じ、殺人容疑で再逮捕した。以下、前者を「殴打事件」、後者を「銃撃事件」と呼ぶ。





その後1998年に釈放されるまで、13年間を拘置所で過ごすこととなる。





有罪が確定したのは殴打事件のみで、判決も6年の実刑だったにもかかわらず、だ。その刑期も、未決拘留日数が差し引かれ、宮城刑務所で2年2カ月の服役となった。判決確定は1998年のことで、結局、彼が塀の中で過ごした期間は16年にも及んだ。





こういうことになった理由は、銃撃事件でも逮捕・起訴されて裁判が続いていたからだが、まず1994年3月、東京地裁は有罪として無期懲役を言い渡した。





この判決に至る経緯も、判決自体も、いささかひどい。





まず、直接実行犯ではないかと疑われた、ロサンゼルス在住の日本人男性が別件(銃刀法違反)で逮捕された。実は三浦氏は、海外の雑貨を扱うビジネスをしていた割には、英語が上手ではないので、共犯者は日本人だろう、と決めつけられていた可能性がある。





この男性が疑われたのは、事件当日、白のレンタカーを借りていた事実が明るみに出たからだが、その後の捜査で、現場で目撃された車とは、どうやら車種が違うということや、三浦氏と謀議する時間があったとは考えられない(つまり、アリバイがあったも同然)といった有利な証拠も出たため、銃撃事件に関しては無罪放免となった。





ところが、検察は共犯者を「氏名不詳者」であるとして、強引に起訴(1988年11月)。98年7月、東京地裁は無期懲役の判決を言い渡した。これのなにが「いささかひどい」のか、判決骨子を煎じ詰めれば、





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