モンデール元副大統領と日本(中)駐日大使に任命
Japan In-depth / 2021年5月5日 23時0分
古森義久(ジャーナリスト・麗澤大学特別教授)
「古森義久の内外透視」
【まとめ】
・選挙で効果なかった日本非難。それでも氏の対日非難は徹底していた。
・駐日大使に任命された氏に「日本非難は変わらないか」を尋ねてみた。
・氏は「日本赴任は楽しみ。今後駐日大使は最も重要なポストになる」と。
アメリカの元副大統領の故ウォルター・モンデール氏は1984年の大統領選では無惨に敗北した。対抗馬のロナルド・レーガン大統領に「歴史的な地滑り」とも呼ばれた大差で敗れたのだった。
モンデール氏が勝ったのは全米50州と首都ワシントン地区の合計51の地域でもわずか2つだけ、同氏の地元のミネソタ州と伝統的に民主党支持者が絶対多数を占める首都ワシントンだけだった。全米の選挙人の数だと、なんと13票、これに対してレーガン大統領は513票という歴史的な圧勝だったのである。
だからモンデール氏の日本非難のアピールも実際の選挙では効果がなかったともいえよう。そもそも穏健なイメージの強いモンデール氏には特定の対象への激しい攻撃は似合わなかった。だがそれでも同氏の日本非難は徹底していた。先に紹介した以外にも次のような発言を当時の私は記録していた。
「アメリカは国際的にすぐれた医薬品、通信機器、コンピューターなどを生産しているのに、日本はなにも買おうとしない」
「日本市場にアメリカ車を売りこむには、米軍部隊を連れていって、こじ開けねばならない」
「アメリカは日本製品の流入を制限する正当な権利がある。アメリカ市場は日本製品に対し開かれているのに、日本市場はアメリカ製品に対し閉鎖されているからだ」
こうした発言はいまみれば、当時のアメリカの労働組合やブルーカラーを代弁する率直な恨みつらみ、だったといえよう。だが日本側にとっては嫌な言葉だった。だから当時のモンデール氏は反日ともみなされていた。なにしろ同氏は日本の首相に対しても痛烈な批判を揶揄とも響く言葉で浴びせていたのだ。
「日本の首相は1人が市場開放を拒む口実がタネ切れになると、すぐに次の首相が出てきて、市場開放の問題など聞いたこともないとシラを切る」
そんなモンデール氏がその後、日本駐在のアメリカ大使に任命されたのは歴史の皮肉だといえよう。この大統領選の敗北から9年後、1993年のことだった。
その後のアメリカ政治はまた激しく揺れ動き、1988年の大統領選挙ではそれまで共和党レーガン政権の副大統領だったジョージ・ブッシュ氏(先代)が圧勝した。ブッシュ大統領はソ連の崩壊による東西冷戦の終結やイラクのサダム・フセイン大統領によるクウェート侵攻の撃退など国際情勢では歴史的な成果をあげた。だが1992年の大統領選挙では民主党新人のビル・クリントン候補に敗れてしまった。
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