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ブラックパワー・サリュートの背景とは それでも五輪は開催された その2

Japan In-depth / 2021年6月26日 11時47分

ブラックパワー・サリュートの背景とは それでも五輪は開催された その2




林信吾(作家・ジャーナリスト)





「林信吾の西方見聞録」





【まとめ】





・1968年、五輪史上もっとも有名な政治的パフォーマンスがあった。





・IOCは東京大会で「人種差別反対」「社会正義」主張の活動を容認へ。





・では2022年北京大会は?中国はIOCに「政治的主張禁止」を働きかけ。





 





1968年メキシコシティ大会においては、五輪史上もっとも有名な政治的パフォーマンスが行われた。





10月17日、男子200メートルの決勝が終わった後、世界新記録で優勝したトミー・スミスと、3位(銅メダル)のジョン・カーロスというアフリカ系米国人の選手が、表彰台で人種差別に抗議する行動に出たのだ。





銀メダリストのピーター・ノーマンは、オーストラリア代表の白人だったが、二人の行動に賛意を示し、三人してOPHR(Olympic Project for Human Rights 人権のためのオリンピック・プロジェクト)のバッジをつけて表彰台に上った。





さらに二人のアフリカ系メダリストは、自分たちの貧しさをアピールするため、シューズを着用せずに靴下だけで表彰台に上り、スミス選手は右手、カーロス選手は左手に黒い手袋をはめていた。これは、カーロス選手が手袋を忘れてしまったことから、ノーマン選手が、一双の手袋を二人で分かち合うようアドバイスしたものとされている。





黒い手袋というのは、当時の米国内において、人種差別反対運動に一定の影響力を持っていたブラック・パンサーのシンボルであった。これについては、もう少し後で見る。





合衆国国歌『星条旗よ永遠なれ』が演奏され、国旗が掲揚される間、二人は下を向いて拳を突き上げていた。会場の観客からはブーイングが起き、その様子は世界中でTV中継されたのである。後にスミス選手は、





「帰国したらまるで犯罪者扱いで、仕事にも就けなければ家族まで嫌がらせを受けた」





と語っているが、その前に米国選手団は二人を代表から追放する処分を発表していた。





アフリカ系市民の権利拡大を訴える、世にいう公民権運動は、第二次世界大戦終結後、どんどん盛んになっていった。しかも、前述のノーマン選手の行動からも分かるように、世界的には有色人種ばかりか、白人の支持も幅広く集めていたのである。





しかしその一方では、米国内の白人至上主義者の反発も過激なもので、この年の4月4日には、





「I Have a dream 私には夢がある」





という演説で、日本でもよく知られたマーチン・ルーサー・キング牧師が暗殺される事件が起きていた。ちなみにhaveを大文字にしたのは彼の独創であるらしい。









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