TOKYO1968(上)それでも五輪は開催された その4
Japan In-depth / 2021年7月12日 16時58分
と英国人記者に尋ねて、唖然とさせたことがあるそうだが、当時の日本の視聴者も、似たり寄ったりではなかったかと思われる。
そもそもメキシコという国の認知度も、欧米に比べるとかなり低かった。シリーズの最初に述べた通り、1964年東京大会は、アジアで初めて開催された五輪、1968年メキシコシティは、中南米で初めての大会であったが、自国開催だった東京五輪ほどには盛り上がらなかったのは当然かも知れない。
とりわけ大学のキャンパスにおいては、五輪どころではない、という空気があった。
円谷選手の自死が報じられたのは、前述のように1月9日のことであったが、1月29日には、東大医学部において、ただでさえ評判の悪かったインターン制度を、研修医にとってさらに過酷な「登録医制度」に変えようという改革案に反対する学生が、無期限ストライキを宣言。これが世にいう東大闘争の始まりだが、7月2日には全学共闘会議(全共闘)の学生らが安田講堂を占拠・バリケード封鎖した。
翌年1月、大学側の要請により機動隊が強行突入。大学構内だけで600人以上の逮捕者を出したが、この「安田講堂攻防戦」は終日TV中継され、東京五輪にも匹敵する視聴率を得たと記録されている。
メキシコシティ五輪に話を戻すと、観客席で日の丸を掲げる人はいたが、大半が現地在住の日本人や日系人で、日本からわざわざやってきた観客など、ほとんどいなかった。
▲写真 中曽根康弘元首相 出典:Owen Franken/Corbis via Getty Images
高度経済成長期などと言われ、東京五輪開催に先駆けて、1964年4月には海外旅行も自由化されていた(外為規制が緩和された)が、まだまだ「発展途上」だった日本経済にとって、海外旅行客が増えることは外貨の流出を意味する、と見る向きも多かった。
げんに1968年2月23日には、閣議において当時の中曾根康弘運輸相が、「不要不急の海外渡航の自粛を求めるべき」と発言している。
新型コロナ禍はひとまず置いて、ワールドカップ観戦のための格安「弾丸ツアー」が汲まれる昨今のサッカー熱を思えば、隔世の感があるではないか。
(その1、その2、その3)
トップ写真:1964年東京五輪でのマラソン表彰式。銅メダルは日本の円谷幸吉選手。(東京 1964年10月23日) 出典:Keystone/Hulton Archive/Getty
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