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シャレにならないユダヤ人問題 忘れ得ぬ一節、一場面 その4

Japan In-depth / 2021年7月26日 11時2分

シャレにならないユダヤ人問題 忘れ得ぬ一節、一場面 その4




林信吾(作家・ジャーナリスト)





「林信吾の西方見聞録」





【まとめ】





・東京オリンピックの関係者、相次いで辞任・解任に追い込まれた。





・海外メディアでは女性の容姿、ユダヤ人、それに障害を持つ人は笑いものにしてはならない、という共通認識がある。





・メディア報道に関して、日本政府や日本人一般の理解度は世界標準とかけ離れている。





 





古い友人の一人が、東京五輪のボランティアをしている。私のところにも、「色々言われてるけど、アスリートはみんな頑張っているから、やるからには(開催したからには)応援したいな」とラインが送られて来た。





その点はまったく同感なのだけれど、ボランティアたちのPCR検査が配置についた後だったと聞くと、本当に無事に終わるのだろうかと不安にならざるを得ない。





23日の開会式はなんとか無事に終わったが、たしかに色々あった。





すでに大きく報じられた通り、音楽担当、演出担当といった主要メンバーが相次いで辞任・解任に追い込まれたが、その理由がとにかくひどい。





まず、音楽(作曲)担当であった小山田圭吾氏が、過去に雑誌のインタビューに答える形で、中高生時代に障害を持つ同級生にひどいイジメをおこなっていたことを自慢げに語っていたことが明るみに出た。





本人は当初、反省しているが辞任は考えていない、としていたが、国内外の反発を受け、最終的に辞任した。その「イジメ自慢」の内容は、ここに転載する気になれない。それほどひどい。





また、演出担当(調整役)だった小林賢太郎氏は、過去に「ラーメンズ」というコンビで活躍していたお笑い芸人だったのだが、その当時、





「ユダヤ人虐殺ごっこをやろう」などというギャグを披露した、としてやはり国内外から糾弾された。





彼の場合は組織委員会が即座に解任を発表した上、当人も芸能界から引退する意向であると聞く。





問題は、どうしてそのような人選が行われたのかということだが、『週刊文春』7月29日号によれば、開会式全体の演出責任者であった佐々木宏氏が彼らを抜擢したものであるという。佐々木氏自身、ある女性芸能人の容姿を豚になぞらえた演出を企画していたことが明るみに出て、3月に辞任している。





国内外からの批判があったと述べたが、辞任を報じた英国BBCのニュースサイトなどは、呆れかえった、という調子であった。それはそうだろう。英米のメディアにおいては、女性の容姿、ユダヤ人(とりわけホロコーストの犠牲者)、それに障害を持つ人は間違っても笑いものにしてはならない、という共通認識がある。全てのメディアがそれを守っているかと言われれば、ちょっと微妙なところではあるが、多様性だの人と人との絆だのと言いつつ、まさか全部まとめてやらかすとは……





私個人としては「ラーメンズ」のお笑いが大好きだったので、小林氏の件は、正直言って残念でならないが、そんな発想が国際的に通用するか否かは、考えるまでもない。





今さら詮無いことではあるが、彼らが杉浦千畝のことを知っていればな、とも思えた。





様々な書籍や映画、ドラマのおかげで、昨今はそこそこ知られるようになってきたが、第二次大戦中、リトアニアの領事(小国なので大使館は置かれず、領事官のみであった)を務めていた。





1939年、ナチス・ドイツがポーランドを占領すると、迫害を逃れるべく、多数のユダヤ人がリトアニアに逃れてきたのだが、彼らの窮状を見かねた杉原は、本省の意向を無視して、つまりは所持金などの条件を満たしていない者にまで、正規の手数料すら取ることなく、第三国への脱出に必要なビザを発給し続けたのである。





2015年に『杉原千畝 スギハラチウネ』という映画が公開された。私の記憶では、ロードショーのタイトルは『SEMPO』だったと思うのだが、確証となる記録を見つけることは残念ながらできなかった。千畝は「チウネ」と読むのだが、外国人には発音しにくいため「センポ」と名乗ることも多かったようだ。





監督のチェリン・グラック氏は米国人だが、日系人を母として和歌山県で生まれており、母国語は日本語であるという。松田優作の遺作となった『ブラック レイン』(1989年)で助監督をつとめるなど、数多くの日米合作映画に関わってきた。





個人的に印象深かったのは、杉原夫人を演じた小雪で、奇麗だし英語は上手だったし、さすがなものだ。主役(唐沢寿明)を食ってしまうほどの演技と存在感であった。





現地雇用のドイツ系リトアニア人を演じた、ボリス・スジックというポーランド人の俳優もよかった。ロケがポーランドで行われたと映画の公式サイトにはあるが、こういうのも現地採用というのだろうか?





そんな話はさておいて、彼はナチス礼賛者というわけではなかったのだが、日を追って多忙になることへの不満もあって、「ユダヤ人など放っておけばよいではないですか」などと口にしたこともある。しかし、一人の年老いたユダヤ人にビザを発給した際、「あなたは<よき人>だ」と礼を言われる。ユダヤ教・キリスト教の世界観では、単なる善人の意味以上に、天国に行く資格がある、といったほどの意味になるようだ。





その時は、黙って相手の顔を見返しただけだったが、明らかに彼の中でなにかが変わったのだろう。積極的に杉原を手伝うようになり、ついにはビザの文言が書かれたゴム印を手作りして、これを自分が捺すから署名だけすればよい、と申し出る。短期間で6000人分のビザを発給することができたのは、こうしたアイデアのおかげであった。文献によれば、本当はユダヤ人と共に亡命してきた元ポーランド軍人が考えついたことだったらしいが。





この映画の公開に先立つこと10年、すなわち2005年には、終戦60周年記念と銘打って、TVドラマも放送された。この時は反町隆史と飯島直子が主演している。





映画でもドラマでも、イスラエルの高官が日本の外務省を訪ねてきて、





「私の命を救ってくれたセンポ・スギハラという外交官に会いたい」と申し出るが、そんな外交官はいない、と冷たくあしらわれるシーンがある。





実際に杉原は、戦後ほどない1947(昭和22)年に外務省を辞していた。詳細な事実関係まではよく分からないのだが、少なくとも当人は、本省の意向に反して多数のビザを発給した事が原因で、外務省にいられなくなったと考えていたようだ。





そして、やはり映画でもドラマでも、そのイスラエルの高官と再会を果たすのだが、ドラマでは、流暢な日本語で、「お互い、年を取りましたね」などと話しかけてくる。杉原は握手しながら苦笑いしただけだったが、反町隆史の笑顔がとてもよかった。





外務省を辞した後の彼は、商社マンとなってモスクワで長く暮らしたが、もともとロシア語が得意で、リトアニアに赴任したのも、ソ連軍の動向を探る狙いがあった。映画では、彼が優秀な諜報員の顔をもっていたことも、よく描かれている。





イスラエル政府は、ユダヤ人に対する迫害に抵抗もしくは反対した人を「諸国民の中の正義の人」として顕彰しているが、日本人では杉原だけが対象となった。





しかし一方、日本政府が公式に彼の名誉を回復したのは、2000年(!)に、当時の河野洋平外相が生誕100年を記念した顕彰演説を行った際である。





ユダヤ人問題に関して、日本政府や日本人一般の理解度は、残念ながら世界標準とかけ離れているのではないか。





(その1、その2、その3。続く)





トップ写真:国立競技場 開会式(2021年7月23日) 出典:Photo by Yuichi Yamazaki/GettyImages




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