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「日本人にとって生き死にとは」続:身捨つるほどの祖国はありや 8

Japan In-depth / 2021年8月13日 0時9分

佐伯氏の言葉は、「今日が、人生最後の一日だと思って過ごせ」と言ったといういうスティーブ・ジョブズを思い出させる。









▲写真 佐伯啓思、2021『死にかた論』新潮選書 出典:新潮社





私は、死ねば無になるという予感への恐怖はない。





鷗外は、自我を「死というものはあらゆる方角から引っ張っている糸の湊合している、この自我というものが無くなってしまうのだと思う。」と定義したたうえで、「暇があれば外国の小説を読んでいる。どれを読んで見てもこの自我がなくなるということは最も大いなる苦痛だと云ってある。ところが、自分には単に我が無くなるということだけならば、苦痛とは思われない。ただ刃物で死んだら、その刹那に肉体の痛みを覚えるだろうと思い、病や薬で死んだら、それぞれそれの病症薬性に相応して、窒息するとか痙攣するとかいう痛みを覚えるだろうと思うのである。自我が無くなるための苦痛は無い。」という。(『妄想』)私は鷗外の徒なのである。





といって、シーザーがそう考えていたと言われるように、突然の、思いもかけない死が最も良い死であるとも思えない。所詮おなじことなのかもしれないが、できれば死にそうだと予めわかりたい。そうとわかれば最大限の抵抗をして、例えば大手術をして、なんとか生き延びようとするに違いないと思っている。





無駄な抵抗、あがき。





そのとおり。人と生まれたものはみな死ぬのである。不老長寿の薬を求めた秦の始皇帝も死んだ。





だが、「みなさんが2029年までがんばって生きていれば、医療技術の進歩によって、『一年生き延びるたびに、あなたの平均余命も1年長くなるでしょう。生まれてから死ぬまでの寿命が長くなるという意味ではなく、あなたに残されている余命が長くなるという意味です。』という説がある。「グーグルで未来の技術の動向を予測する役割を担っているチーフ・フューチャリスト、レイ・カーツワイルが述べている」と書かれた本を読んだことがある。(バーツラフ・シュミル『世界のリアルは「数字」でつかめ』(42頁 NHK出版)





そういえば、鷗外は、『妄想』のなかで、「人間の大厄難になっている病は、科学の力で予防もし治療もすることが出来る様になってきた」とし、「人間の命をずっと延べることも、あるいは出来ないには限らないと思う。」と未来への希望を述べている。それはそうであっても、49歳の鷗外自身自分は「死を怖れず、死にあこがれずに、主人の翁は送っている。」と最後に書いている。そう書いてから11年後に死んでいる。





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