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「日本人にとって生き死にとは」続:身捨つるほどの祖国はありや 8

Japan In-depth / 2021年8月13日 0時9分

週刊新潮の連載エッセイで知られた山本夏彦氏は87歳で亡くなっているが、最後のころには死なないような気がしてきたと書いていた。実は、95歳で亡くなった私の父親も最晩年には同じことを実感を込めて述懐していたものだった。歳をとると生きることに飽きてくる、という話も聞く。





ちなみに、15世紀から16世紀にかけてのイギリスの哲学者、フランシス・ベーコンは「人はただ生まれ、そして死ぬだけだ。それだけのことだ」と言っているそうである(84頁)ちなみに彼は65歳で死んでいる。





死はいずれ来るとしても、私は、そこまでのその過程こそが問題だろうと思っている。





漱石は、その思い人といわれる大塚楠緒子の若い死に際して





「あるほどの菊投げ入れよ棺の中」





と詠じた。死は、結局のところ、遺されたものの問題なのであろうか。少なくとも、本人が語ることはないことだけは確かである。





(1,2,3,4,5,6,7)





トップ写真(イメージ):枯れたポプラの木 出典:Photo by China Photos/Getty Images




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