アフガニスタン危機の日本への意味(下)
Japan In-depth / 2021年8月17日 11時0分
古森義久(ジャーナリスト・麗澤大学特別教授)
「古森義久の内外透視」
【まとめ】
・ベトナム戦争時、米国は同盟国の南ベトナム撤退後、支援を削減、1975年にサイゴンは陥落した。
・アメリカに依存してきた国家の悲劇が今、アフガニスタンで起きている。
・日米同盟も、在日米軍の駐留も、もう必要ない、と米国が決めるというシナリオは起きうる。
アフガニスタンの現状をみるとき、私はどうしても南ベトナムの悲劇を思い出すことを説明してきた。共通項はアメリカの支援、アメリカへの依存、そしてアメリカの劇的な政策の変化である。その結果として現地の人間たちにとっての悲劇や惨劇が残るのだ。
アメリカがベトナム戦争に正規の軍事介入をしたのは1965年3月だった。中部の大都市ダナンの海岸にアメリカ海兵隊を上陸させたのだ。それ以後、アメリカの軍事介入は規模を広げ、一時は南ベトナム駐在の米軍部隊が50万を超すという時期もあった。
しかしアメリカの軍隊は1973年3月には南ベトナムからすべて撤退してしまった。それまで8年にわたる南ベトナムへの介入、そして支援だった。だがアメリカ国内で燃えあがったベトナム反戦の動きに押されて、時の政権はベトナムからの米軍の全面引き揚げを断行した。
その後の2年間のベトナム戦争というのは南ベトナムと北ベトナムの戦いだった。ただし北はソ連と中国からの膨大な軍事援助を継続して受けたが、南へのアメリカからの援助は減っていった。アメリカは国内世論に従い、南ベトナムという同盟相手への支援を一方的に削減していったのだ。
北ベトナムは米軍撤退から2年後の1975年春に南ベトナムでの大軍事攻勢を起こした。後の歴史で「1975年春季大攻勢」と呼ばれる巨大な軍事作戦だった。北ベトナムは国家の総力をあげ、正規軍のベトナム人民軍のほぼすべて20個師団をも南ベトナム攻略のための軍事作戦へと投入したのだった。
当時の南ベトナムでは北ベトナムの共産主義体制を嫌う国民が大多数だった。南ベトナム政府軍もそれなりに20個師団が存在した。だがその軍隊や政府を支えてきた大黒柱のアメリカはもういなかった。
北ベトナム軍の大部隊が南ベトナムの中部高原で最初に大規模な軍事攻勢に出たのが1975年3月上旬だった。そして北ベトナム軍は連戦連勝して南ベトナム軍を撃退し、ついに首都のサイゴンに突入したのが同年4月30日だった。
この間、55日ほど、ベトナム共和国という国家、社会の崩壊だった。私はこの間の動きを主にサイゴンから、ときには危険な前線にも出て、毎日新聞に詳しく報道した。後にその報道を「ベトナム報道1300日」(講談社文庫)という本でもまとめた。
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