英霊と呼ばれない女学生たち 「戦争追体験」を語り継ぐ その3
Japan In-depth / 2021年8月20日 11時0分
記録によれば、月額50円ほどの給与が支給されていたそうで、当時の物価水準から考える限り、今どきの学生バイトよりもだいぶ稼げたことにはなる。とは言え、戦時統制経済の下で、買い物や娯楽などの使い道がなにもなかったから、誰もありがたく思ってなどいなかったと、やはり記録にある。
それはさておき映画の中の早見優だが、戦争末期、この工場は米軍の空襲を受ける。軍需工場は基地と並ぶ最重要の攻撃目標とされていた。
これまた今風に言うとバイトリーダーのような立場であった彼女は、後輩たちを先に避難させ、最後に自分も防空壕へと走るのだが……という展開であった。実際、徴用された勤務先が砲爆撃を受け、多くの犠牲者が出ている。実は私の父も、旧制中学時代に徴用され、荒川土手を転げまわって米軍機の機銃掃射から逃れた、という経験をしている。
沖縄戦で多くの犠牲者を出した「ひめゆり部隊」も、いわばこの徴用制度の犠牲者であった。
▲写真 「ひめゆりの塔」沖縄県糸満市(2020年11月29日) 出典:Photo by Yuichi Yamazaki/Getty Images
これまた、名称の由来について誤解が広まっているようだが、ひめゆりというユリ科の花があるわけではない。沖縄出身者に聞いたことがあるのだが、かの地で咲き誇っているのは、もっぱら鬼百合なのだとか。
実はこの部隊は、沖縄第一高等女学校と沖縄女子師範学校から、主として徴用されていた。沖縄高等女学校で発行されていた生徒会機関誌のタイトルが『織姫』で、沖縄女子師範学校の同窓会が通称「白百合会」であったことから想を得て生まれた造語なのである。また、部隊とは本来、中隊や連帯のように、正規の序列に組み入れられた集団を指すので、本当は「ひめゆり学徒隊」もしくは単に「ひめゆり隊」と呼ばれたらしい。
ちなみにこの両校は、戦後の沖縄が米軍の信託統治下に置かれたという事情もあって、新制高校として再出発することなく、敗戦直後に廃校となってしまった。
彼女たちの主たる任務は、野戦病院での傷病兵の看護であったのだが、病院と言っても洞窟の中であったり、想像を絶するような環境で、なおかつ米軍の無差別の砲爆撃によって、多くの犠牲者を出した。
1995年に『ひめゆりの塔』という映画が公開された。もともと1953年に公開され、1982年にもリメイクされているが、私にとっては、この1995年版がもっとも印象深かった。
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