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菅首相、なぜ任期満了解散にこだわる

Japan In-depth / 2021年8月29日 12時29分

■任期満了による「ロッキード選挙」で大敗





自民党が敗北を喫した戦後唯一の任期満了選挙というのは、昭和51年の第34回だ。





本来なら「ロッキード解散」と呼ばれるべきところ、解散をともなわなかったことから「ロッキード選挙」といわれる。





この年は戦後の政治史上、特筆されるべき年だった。





アメリカの航空機会社、ロッキード社が航空機を売り込むために全世界の有力者にワイロをばらまいた。日本では右翼の大物が関与、田中角栄前首相をはじめ政府高官、代理店の商社、航空会社らの幹部が相次いで逮捕された。









▲写真 周恩来中国首相と会談する田中角栄首相(当時)1972年12月25日 出典:Bettmann/GettyImages





当時の三木武夫首相はこの事件の解明に積極的に取り組んだが、元首相の政治姿勢に批判的だったこともあって、その逮捕は三木のさしがねなど根拠のない憶測が乱れ飛んだ。そんなわけでもあるまいが、自民党内では三木首相への批判が高まりをみせていた。





ロッキード事件に先立って、田中首相が金脈疑惑で退陣した際、自らの裁定で三木政権を誕生させた副総裁の椎名悦三郎氏ですら公然と批判した。その舌鋒、「惻隠の情がない」は当時、はやり言葉にもなった。





三木首相は、この年12月に衆院議員が任期満了を迎えるため、解散の時期をさぐっていた。しかし、反三木の福田赳夫元蔵相、大平正芳元外相らが急先鋒となって解散に反対。挙党体制確立協議会(挙党協)という〝党中党〟が発足、党は分裂状態となった。 





挙党協から、閣僚14人が名を連ねる退陣要求を突き付けられるなど苦しい状況の中、三木氏は党役員人事、内閣改造で批判勢力の一部を取り込み、中央突破を図るなどあくまで強気を崩さなかった。





この粘り腰は、戦前から国会で活躍、戦時中の翼賛選挙を非推薦で勝ち抜き、戦後は小党を渡り歩いて権謀術数を身につけた〝バルカン政治家〟三木の面目躍如だった。小派閥が、敵味方をめまぐるしく変えて生き延びていくという意味だ。









▲写真 自民党大会で演説する三木武夫首相。ロッキード事件に関与した日本人の名前を取得するために米国からの協力を求める手紙をフォード大統領に送った。(1975年1月22日) 出典:Bettmann/Getty Images





しかし、衆寡敵せず、結局、伝家の宝刀をぬくことはかなわず、戦後初の任期満了選挙を余儀なくされる。





党内の分裂を抱えた選挙など勝てるはずがない。12月5日に行われた投票で、自民党の獲得議席は249、現有議席より16議席減、過半数(256)も割り込んだ。





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