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英国もソ連も追い出した(中)「列強の墓場」アフガニスタン その2

Japan In-depth / 2021年9月20日 19時0分

実際の戦闘の結果はと言えば、ソ連軍の死者が2名にとどまったのに対し、ムジャヒディーンの側は50名とも120名とも言われる死傷者を出したのである。





記録によれば、ソ連軍の車陣(戦車や装甲車を円形に配置した、即席の要塞)に、突撃銃と手榴弾だけのムジャヒディーンが攻撃を仕掛けたそうなので、まず当然の結果である。帝政ロシアの時代から、かの国の軍隊の野戦築城の巧みさ、防御戦闘に際して見せるしぶとさには定評があって、日露戦争でも第二次世界大戦の独ソ戦でも、それは充分に発揮された。





言うなれば、イスラム圏の一部メディアを巻き込んだ「大本営発表」だったわけだが、なんとこれが功を奏して、ビンラディンの名声は不動のものとなる。





そのような彼が、どうして米国を敵視するようになり、ついには同時多発テロを引き起こすに至るのか。これについては稿を改めよう。





 次回はタリバンにスポットを当てる。





(その1)





トップ写真:アフガニスタンの兵士達 アフガニスタン、クナル州、アスマール(1980年1月1日) 出典:Photo by Pascal Manoukian/Sygma/Sygma via Getty Images




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