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米国はなにを間違えたのか「列強の墓場」アフガニスタン その4

Japan In-depth / 2021年9月23日 11時0分

「ビンラディンがこの同時多発テロの首謀者で、米国はアフガニスタンのタリバン政権に身柄の引き渡しを要求したが、タリバンが拒否したため、戦争になった」





という解説である。





これは正確でない。と言うより、米国側の主張を鵜呑みにしただけなのだ。





ビンラディン自身はこの同時多発テロについて、中東のTV局アルジャジーラを通じて、





「自分は首謀者ではない」





との声明を発表しており、タリバンもこれを受けて、身柄の引き渡しを要求するなら、まずは彼が首謀者であるとの確証を示すよう米国側に求めた、というのが事実なのである。





タリバンの主張にも一理あるが、怒り狂ったブッシュ・ジュニア大統領には、そのような論理は通用せず、ほとんど問答無用でアフガニスタンに侵攻したというのが、これまた事実である。





ただ、あくまでも公平を期すために述べておくと、それまで反米テロを激しく煽っていたビンラディンを、米国が「最重要容疑者」と考えたこともまた、当然の成り行きであったとは言える。





話は1990年の湾岸戦争にさかのぼる。





イラクのサダム・フセイン政権によるクウェート侵攻に掣肘を加えようと、米軍を中心にアラブ諸国の多くも加わった「多国籍軍」が編成されたわけだが、これが、当時「アフガニスタンの英雄」としてサウジアラビアに凱旋していたビンラディンを大いに憤慨させた。





アラビア半島、わけても聖地メッカを擁するサウジアラビアに、米軍が基地を置いたからである。





「聖地に異教徒の軍隊が駐留することを認めるなど、神の教えに反する」





としてサウジアラビアの王家に抗議したビンラディンだったが、取り合ってもらえなかったばかりか国外追放の沙汰となり、最終的には国籍まで剥奪されたことはすでに述べた。





念のため述べておくと、米軍もイスラム圏の国民感情に無頓着であったわけではなく、現地に駐留する部隊に、外部の人間とむやみに接触しないよう命じていたし、女性兵士に対しては、





「暑いからと言って、肌を露出した姿で人目に触れることがないように」





との通達まで出していた。





話を戻して、2001年9月11日に米国で起きた同時多発テロをきっかけに、米国は「テロとの戦争」に乗り出し、アフガニスタンのタリバン政権も一度は崩壊した。しかし抵抗はやむことがなく、米国にとって史上最も長い戦争となってしまったのだが、今年8月、米軍が撤退するや、親米派(と言うよりは傀儡に等しかった)政権は崩壊し、タリバンがまたしても政権を掌握したことは、すでに大きく報じられた通りである。





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