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「血筋の価値」と近親結婚(下) 王家の結婚について その3

Japan In-depth / 2021年10月21日 11時0分

「血筋の価値」と近親結婚(下) 王家の結婚について その3




林信吾(作家・ジャーナリスト)





「林信吾の西方見聞録」





【まとめ】





・ハプスブルク家は政略結婚によって勢力を広げていった歴史がある。





・後にオーストリアとスペインの両ハプスブルク家間での近親結婚が増加する。





・近親結婚をタブー視する背景には重層的な問題がある。





 





シリーズ第1回でハプスブルク家について述べた。





もともとはスイス北部の小豪族に過ぎなかったが、巧妙な政略結婚政策によって勢力を広げ、ついには神聖ローマ帝国の君主の座を世襲するまでになったのである。この神聖ローマ帝国について、





「ローマ人の国ではないし、神聖でもなく(法王庁との関係性から言って)、そもそも帝国ですらない」





などと評した人もいるのだが、当の歴代君主は気にすることもなかったであろう。ごく大雑把に言えば、ローマ法王庁の政治・軍事部門を頼まれもしないのに買って出た、といったところだ。





この神聖ローマ帝国を中心に「ハプスブルク帝国」と呼ばれることも多いのだが、本項ではハプスブルク家で統一させていただく。





また、政略結婚政策などとは、いささか陰謀論めいて聞こえがよくないかもしれないが、実際には大半の縁組が夫婦円満で子宝にも恵まれた。このことがまた、次世代の政略結婚をさらに容易にするという好循環が生まれたわけだ。





ともあれ16世紀になると、まずスペイン、次いでポルトガルの王位を手中にしたが、これまた戦争ではなく政略結婚の成果である。





ただ、イベリア半島の人たちにとっては、結局「征服王朝」でしかなかったようで、わが国の文献では一般にスペイン・ハプスブルク家と表記されているが、当のスペインでは昔も今もカサ・デ・アウストリア(オーストリア家)としか呼ばれない。





ともあれ当時イベリア半島の両国は、中南米の大半をはじめアフリカ大陸沿岸部、さらにはフィリピンまでも植民地支配していた。





「日の沈むことなき大帝国」という呼称は、大英帝国に先んじてハプスブルク家に与えられたものなのである。





こうして大帝国を築いたハプスブルク家であったが、それまでの政略結婚政策から一転、近親結婚を繰り返すようになった。





その理由については、政略結婚で拡大しきった領土が、今度は結婚によって細分化されることを警戒したのだ、と見る向きが多かったようだが、色々と読んでみると、どうもそこまで単純な話ではないように思えてくる。





要は、他に「婚活」の選択肢が限られてきてしまった、ということではあるまいか。





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