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強制収容所生まれ日系ベトナム帰還兵の思い

Japan In-depth / 2022年2月21日 7時0分

古本さんは言う。





「国外退去は暗黙の了解、なんです。強制送還より屈辱的です」





原爆の爆心地から2キロと離れていないところに住んでいたという、祖父や祖母らの住む広島に移住した古本さんは、原爆投下後の広島の惨状を目の当たりにし、親戚も、転入した小学校でも同級生のほとんども被爆者、という経験をする。





アメリカは家族が「日系人」という「差別」を受けて抑留され、国外退去。日本では被爆者が「差別」されているのを知った。自身も「アメリカ帰り」と囁かれたりした。





1950年代になって、父はアメリカ国籍の子どもたちのことを思い、自身も戦前は大きな商売をやって成功していた体験を踏まえ、もう一度挑戦してみたい、という思いでアメリカ国籍の娘が親を呼び寄せる形でアメリカに戻り、古本さんもロサンゼルスに移住。





サウス・セントラル、という黒人が多い地域で、日系人としてふたたび差別を受けるなどした体験もあり、アメリカ人として認められたいという思いから、UCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)を卒業後、士官学校へ進み、自らベトナム戦争に志願。





士官、という立場での従軍で後方からのオフィスでの支援任務で帰れるだろう、との読みもあったが、最前線では仲間がバタバタと倒れて行く。結果、前線へ送られることになり、弱冠25歳の士官の立場で現場を指揮、戦闘の地獄を見る。









▲写真 士官時代の古本さん 提供:古本さん





責任の重さ、ゲリラ戦に遭遇する死と隣り合わせの毎日で、ヘロインなどに溺れる同僚もいるなか、自身は強い酒を煽ることも多かったという。戦闘が激化する中、戦地でのレーダー設置などの任務の際、米軍がジャングルに散布した枯葉剤(エイジェント・オレンジ)を何回もあびた。









▲写真 ベトナム従軍時の古本さん 提供:古本さん





「ベトナム戦争はモラルなき戦争でした。枯葉剤、ナパーム弾。ソンミ村の虐殺を知ってるでしょう?」





戦争終結後は、なんとかアメリカに無事に戻れたものの、大義なき戦争による毎日くりかえされる無意味な死闘の経験で、PTSDを発症、家族とも誰とも交わることのできない孤独で、病んだこころを抱えて毎日を過ごした。





そうした中、今の夫人の手厚い支援で徐々に人のこころを取り戻し、一念発起して資格を取得、不動産会社を起したところ、1970年代の日本企業ブーム、1980年代の不動産ブームに乗って事業は順調に発展。だが今度はジャパン・バッシングという人種差別が社会に広がる。









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