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食べてよいもの、いけないもの(下)方言とソウルフードについて その3

Japan In-depth / 2022年4月24日 11時26分

食べてよいもの、いけないもの(下)方言とソウルフードについて その3




林信吾(作家・ジャーナリスト)





林信吾の「西方見聞録」





【まとめ】





・日本の肉食文化は、縄文時代以降様々に変化してきた。





・6世紀半ばに「公伝」した仏教が、当時の日本の食文化にも大きく影響。





・明治維新・文明開化によって肉食が公然化し、菜食主義なども伝来した。





 





わが国の肉食文化は、身分制度や差別問題と切り離して語ることはできない。





……またしても、突然何を言い出すつもりかと思われた向きもあろうが、色々と読めば読むほど、そのような感想を抱かざるを得ない、という話なのである。





まず、縄文時代は狩猟や採集が生活の基盤であり、もちろん獣肉を食べていた。各地にある貝塚からは、貝殻に混じって大小の動物の骨が多数見つかっている。とは言え、縄文人のカロリー源は実に80%近くが植物由来であったことも、研究によって明らかになっているのである。





また、貝塚という名称からも容易に想像がつくことだが、動物性タンパク質にせよ、その多くを魚介類に依存していた。周囲を海に囲まれ、川にも淡水魚が多く生息しているのだから、山野を駆け巡って野生動物を狩るよりも、手近な魚介類を採取した方が容易だとは、誰でも考えつきそうなことで、要するに縄文人は「少しは肉も食べていた」という表現が妥当なようだ。





弥生時代になって農耕がもたらされてからも、肉食がなくなったわけではないのだが、有名な『魏志倭人伝』の中に、





「(倭人は)近親者の喪に服す際には十日間肉食を絶つ」





という記述がある。





これはどういうことなのかと言うと、仏教が日本に伝わってから「殺生戒」によって日本人が肉食を避けるようになったわけではなく、古代より、動物を殺してその肉を食する行為を「血の穢れ」として忌み嫌う、民間信仰のようなものがあったものと考えられる。





そして538年(欽明天皇・戌午の年。諸説あり)、仏教が公伝することとなった。公伝というのは、今風に言えば「外交ルートを通じてもたらされた」ということだ。





紀元前450年頃、現在のネパールで生まれた仏教は、紀元前1世紀には中国大陸に、そして3世紀後半から4世紀前半にかけて朝鮮半島に広まった。平行して、日本列島には帰化人あるいは渡来人と呼ばれる人たちが多数やってきていたが、その多くが朝鮮半島出身者で、彼らによって仏像や仏典はすでに持ち込まれていたものと考えられている。





つまり、我々昭和世代が使った教科書などには、単に「文教伝来」とされていたが、これだと正確な時空列が分かりにくい、ということで「公伝」の語が用いられるようになった。現在の朝鮮半島南部で栄えた百済からの使節が、時の天皇に仏典を献上したという史実に由来する。





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