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食べてよいもの、いけないもの(下)方言とソウルフードについて その3

Japan In-depth / 2022年4月24日 11時26分

それはさておき、仏教が伝わったことによって、それまでにもあった「血の穢れ」を忌み嫌う肉食タブーが、宗教的タブーに置き換えられ、ついには制度化された。675年、時の天武天皇によって肉食禁止令が出されたのである。





と言ってもこれは、4月から9月まで肉食を禁止するという「時限立法」で、禁止の対象も牛、豚、犬、猿、鶏の肉に限られていた。





犬や猿と聞いて、首をかしげた向きもあろうが、実は我が国では、鯨を食べる習慣よりも古くから犬食の習慣があった。猿については、畑を荒らす害獣と見なされていたので、ウサギと同様、駆除したついでに肉を食べる習慣があったものらしい。





ただし、当初の仏教は上流階級の教養と見なされる傾向があり、庶民階級にとっては、肉食禁止令など大して意味を持たなかった。言い換えれば、経済格差とはまた違う次元で、公家や僧侶といった上流階級と、庶民階級との間で食文化の乖離が生じたのである。





さらに言えば、天皇家を頂点とする当時の支配階級が、宗教的タブーとして「穢れ」を遠ざけるようになったことから、動物を殺し、その皮を加工するといった仕事に就く人たちが、公然と差別されるようになってしまった。21世紀の今日に至っても、こうした差別が消滅していないのは遺憾なことだが、ここではその話は、ひとまず置かせていただく。





その後、武士が台頭してくるわけだが、このこともまた、階級によって異なる食文化を定着させる一因となった。なぜかと言うと、武士は狩猟が生活の一部であり、イノシシや鹿の肉を好んで食べていたからだが、その影響で公家や僧侶の中にも、密かに肉食をする者が少なくなかったと伝えられる。前回も少し触れたが、食欲と好奇心の前には、宗教的戒律などしばしば無意味となるのだ。





一方では漁労も発達して、戦国時代の四国においては、商業捕鯨も始まった。





このため……と言ってよいかどうかは疑問が残るところだが、徳川幕藩体制が確立して世の中が平和になると、武士も獣肉より魚介類を好んで食べるようになっていったとされている。とりわけ五代将軍・徳川綱吉の治世にあって「生類憐れみの令」が公布されたことにより、我が国の犬食は終焉を迎えた。 





その後の経緯はよく知られる通りで、明治維新・文明開化の副産物として肉食が公然化したわけだが、本当のところは江戸時代の後期から、鍋料理に獣肉を入れるのは別段タブー視されることもなくなったようだ。





2002年に公開された『壬生義士伝』という映画では、新撰組の面々が牛鍋をつついていたし、坂本龍馬は鶏鍋の肉が届くのを待っていたところを刺客に踏み込まれ、暗殺された。





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