日欧地名事情 地名・人名・珍名について その6
Japan In-depth / 2022年6月29日 14時18分
その後、大和朝廷の勢力はどんどん北上し、現在の東北地方にまで達した。
さらに、近代になると、ついには蝦夷地に達して「北海道」と改められるわけだが、地名に関して言えば、もともとの現地語であったアイヌ語に漢字を当てたため、独特の読み方をする。稚内(わっかない)や長万部(おしゃまんべ)、足寄(あしょろ)など枚挙にいとまがない。道庁所在地の札幌にせよ、もともとは豊平川流域をアイヌ語でサツホロあるいはシャツホロと呼んだのが語源らしい。
沖縄の地名にせよ、琉球語に漢字を当てたものが多い。那覇に隣接する南風原は「なんぷうばら」でも「みなみかぜばら」でもなく「はえばる」だというように。
ここであらためて、冒頭の話に戻ることになる。
日本で「~丘(岡)」という地名のステータスが上がったのは大正時代以降のことで、私見を交えて語ることをお許し願えるなら、ロンドンにおけるハムステッド、パリにおけるモンマルトルのイメージが影響したものではないかと思われる。
いずれも市の中心部を一望できる高台で、お洒落な商店街もあり、クリエイティブな仕事に従事する人が多く住むとされる。
ただ、そのような評価が定着してきたのは比較的最近のことで、モンマルトルなど、もともとはパリ市内でなく隣接するセーヌ県に属していた。もう少し具体的に述べると、ナポレオン3世(1808~1873)が命じた「パリ改造」により、中心部で大規模な区画整理が行われた結果、多くの人が郊への転居を余儀なくされた。芸術家たちもその例に漏れず、市内に比べて家賃が安く、田園風景が残るこの丘陵(と言っても、標高130メートル程度だが)にアトリエを構えたのである。さらにはまた、移民も多く住み着くようになった。歌手のシャルル・アズナブールもこの地で生まれたアルメニア系の移民二世だ。
ジェントリフィケーション(高級住宅地化)が進んだのは1910年代、第一次世界大戦の直前あたりからで、この結果、若い芸術家たちは地価高騰に耐えかねて、多くがパリ市内に戻ったとされる。
以上を要するに「~丘」という地名のステータスが上がったのは、中心部の過密を解消せんとする都市計画の結果なのだ。
現代の日本人が見習うべきは地名ではなく、個別具体的な事情はあろうとも、多くの市民の利益を追求した合理的な都市計画であろうと私は思うのだが、どうだろうか。
(つづく。その1、その2、その3、その4、その5)
トップ写真:都心から望む富士山(イメージ) 出典:Photo by Yamaguchi Haruyoshi/Corbis via Getty Images
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