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「参拝」も「国葬」も説明不足のままだ 戦争と歴史問題について 最終回

Japan In-depth / 2022年8月29日 23時0分

まず、大日本帝国陸海軍は、この戦役で230万人もの犠牲者を出している。他に、空襲などによる民間人の犠牲がおよそ100万人。政府の公式見解では計310万人とされているが(シリーズ第2回参照)、この見積もりはいささか過小ではないかと、複数の研究者が指摘している。


ひとまず軍人・軍属(軍に雇用された人。炊事や雑役を担うことが多かった)の犠牲者に話を絞るが、問題はその内訳である。230万人のうち、本来の意味での戦死……というのも妙な言い方だが、直接的に敵の銃砲弾によって落命した人は、どのくらいか。


こちらはほとんどの資料が一致するところだが、軍艦の沈没による死者も含めて、70万人いるかいないかだとされている。他に、輸送船が片っ端から撃沈された結果、移動中に海中に没した陸軍兵士が、およそ40万人いるとされる。


両者合わせて100万人をわずかに超えるわけだが、そうなると残りのおよそ200万人は、どのようにして亡くなったのか。


驚くなかれ、大半が餓死と病死なのである。


病死の多くは、マラリアなど熱帯風土病によるものだが、太平洋戦線における日本軍は、兵站について真面目に考えていなかった。兵站とは単に補給だけでなく、武器弾薬の調達から傷病者の後送・医療、各種のサービスまで、要するに直接の戦闘行動以外の大半の任務が含まれる。


南太平洋のガタルカナル島の攻防戦は、補給を断たれた日本兵の惨状から「餓島」と呼ばれた。ビルマ(現ミャンマー)と英領インドの国境を突破しようと試みたインパール作戦など、250名で出撃した中隊のうち、戦闘による死者は7名。生還者は48名、後は全員、ジャングルで野垂れ死にしたという記録も残されている。


したがって私は、戦没者について「国に殉じた英霊」と言うよりは、


「無謀かつ無能な戦争指導部によって、失われずに済んだはずの命までが数多く失われた。その数200万以上」


と考えている。


もうひとつ、前回も紹介した『反戦軍事学』(朝日新書・電子版配信中)でも触れたが、そもそも英霊=戦死者は神となって靖国神社に祀られる、という思想は、天皇を現人神(あらひとがみ)とする思想と表裏一体であった。


よく知られる通り日本国憲法の制定に先駆けて、具体的には1946(昭和21)年1月1日、昭和天皇が「人間宣言」を発したことにより、その思想自体が否定されたのである。これについても『反戦軍事学』の中で、三島由紀夫の『英霊の聲』という小説を引き合いに出しつつ1項を割いて述べたので、できればご参照いただきたい。


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