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初代首相もテロに斃れた(下)国葬の現在・過去・未来 その2

Japan In-depth / 2022年9月18日 7時0分

公平を期すために述べると、このような経緯で発布に至った大日本帝国憲法だけに、戦後日本においては、過度なまでの天皇中心主義や徴兵制度など、いわば負の側面だけが強調されているきらいがある。しかしながら当時の感覚では、封建社会の価値観を覆して(華族・士族と言った身分制度は温存されていたものの)、法の下での平等や個人財産権の保護が盛り込まれた、先進的とさえ言える憲法であった。実際問題として、自由民権運動の活動家の間でさえ、


「予想以上に善き憲法ができたではないか」


と評価する声が多かったということは、知っておく必要があるだろう。


このように着々と近代化を進めた明治の日本は、ついには日清・日露の戦役で勝利を博するに至る。その結果、朝鮮半島における覇権を不動のものとした。


そして、前回も述べた通り、伊藤は初代韓国統監の座に就くが、彼自身は統合=半永久的な植民地化を目指す政策には、賛成しかねるという立場であった。側近に対して、


「朝鮮人は偉いよ。古い文化もあるし、日本人に負けず劣らず勤勉だ。それなのにあの国があんな有様なのは、畢竟(李王朝の)政治が悪いからだ」


と一度ならず語ったという。


そして実際、伊藤は朝鮮の李王朝と二度にわたって条約を締結し、外交権や財政権を強引に委譲させた。


おさまらなかったのは朝鮮半島の人たちである。


日清・日露の戦役は、いずれも事実上、朝鮮半島の支配権をめぐって戦われたものだが、生活の場を戦場にされた半島の人たちの立場はどこにもない。そして最終的には、日本に戦争を仕掛けて敗れたわけでもなんでもないのに、主権を剥奪されたのだ。


かくして独立を求める気運が高まり、一部は、暴力に訴えることも辞さないという過激な思想に染まる者もいた。


アン・ジュングン(安重根)も、その一人である。


1879年生まれ。カトリック信者だが、前に統一教会の問題に絡んで述べた通り、朝鮮半島におけるキリスト教徒は、独立運動にあっても大きな役割を果たしてきた。


現在の韓国でも、彼は「救国の英雄」とされていると聞いていたので、旧知の韓国人ジャーナリストに確認を求めたところ、こう言われた。


「たしかに英雄として、歴史の教科書にも載っています。けれど、みんなそれほど詳しくは知らないと思いますよ。日本の学生だって、日本史の教科書に載っている人物について、どれほど知ってますか?それと同じですよ」


話を戻して、事件が起きたのは、1909(明治42)年10月26日のことである。


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