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藤岡将医師 司法試験合格

Japan In-depth / 2022年9月23日 23時22分

藤岡将医師 司法試験合格




上昌広(医療ガバナンス研究所理事長)





「上昌広と福島県浜通り便り」





【まとめ】





・司法試験に合格できたのは藤岡医師の能力が高いことに加え、勤務する相馬中央病院が支援してくれたからである。





・司法試験をサポートするきめ細やかな対応は都心の大病院では難しく、今回の合格は、彼が相馬中央病院で勤務していなければあり得なかったと言える。





・藤岡医師が弁護士という資格を活用するには、医師に軸足をおき、試行錯誤を繰り返すしかないと考える。





 




東日本大震災から11年半が経過した。原発事故により甚大な被害を蒙った福島県浜通りには、震災を機に多くの人が移り住んだ。彼らの中からユニークな人材が生まれつつある。


そのような人材の一人が藤岡将医師だ。9月6日、司法試験に合格した。司法修習を終えれば、晴れて医師・弁護士のWライセンスを得る。本稿では、藤岡医師の「快挙」についてご紹介したい。


藤岡医師は1986年3月生まれ。2004年、現役で東京学芸大学附属高校から東京大学文科2類に合格する。しかしながら、「経済学の勉強に興味が持てなかった」ため、仮面浪人で、理科3類を再受験し、合格する。


2008年春、医学部進学を契機に、当時、東京大学医科学研究所に存在した私どもの研究室に「教室のメンバーのキャラが立っていて、何となく面白そうだから」と出入りするようになる。写真は、当時の私の部屋で撮影したものだ。人懐こい性格で、スタッフからも可愛がられた。







▲写真 2009年3月、東京大学医学部3年生のころの藤岡将氏。東京大学医科学研究所の研究室にて。(筆者提供)


2012年に医学部を卒業し、2013年から南相馬市立総合病院での初期研修を始めた。この間に1年間のギャップが存在する理由は後述する。


南相馬市立総合病院は、福島第一原発から23キロ北方にあり、原発にもっとも近い基幹病院だ。原発事故後は多くの避難者・被災者を受け入れた。同病院は2013年から臨床研修指定病院に認定されるが、藤岡医師は同病院が受け入れた最初の研修医だ。東日本大震災後、私たちのグループは福島県浜通りでの支援活動を継続した。藤岡医師は、「このような活動に参加し、浜通りに興味を抱いた」という。


藤岡医師は、二年間の初期研修を修了後も南相馬市立総合病院に残り、消化器内科を専攻した。指導したのは金澤幸夫院長(当時)だ。金澤医師は温厚に見えるが、東日本大震災以降、多くの医師・看護師・スタッフが避難した中、及川友好副院長(当時、現院長)、根本剛医師らと共に現地に留まり、診療に従事した気骨ある人物だ。若い頃は「厳しい指導医」として知られていたそうだ。藤岡医師は、この金澤医師から、消化器疾患の診察から内視鏡検査まで、消化器内科医として基本を叩き込まれる。その後、藤岡医師は相馬中央病院に異動し、現在に至る。地元出身の女性と結婚し、二人の子どもをもうけている。


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