「人が核兵器に触れると破滅もたらす」 キューバ危機の教訓語ったマクナマラ国防長官
Japan In-depth / 2022年10月14日 23時0分
マクナマラ氏:「私自身は核戦争が避けられないと思ったことは一度もなかった。大統領も私も、その危険はあると考えたが、あくまでも、その可能性が広がることを避けて行動した。戦争は不可避という状況ではなかった」
樫山:危機を乗り切ったケネディ大統領の采配ぶりはどうだったか。大統領の実弟、ロバート・ケネディ司法長官(当時)が重要な役割を果たしたともいわれるが。
マクナマラ氏:「大統領は非凡な英知と指導力を示して問題解決の陣頭にたった。司法長官は、われわれ同様、戦争を避けようと考えていた。だから彼は攻撃に反対し、臨検に賛成した」
樫山:キューバ危機から学んだ教訓は何か。
マクナマラ氏:「キューバのミサイル危機は、過去半世紀の外交、軍事政策における最高の危機管理だったと思う。軍事行動は複雑なものだ。特定の行動をとった場合、相手がどう反応するか予測しがたい。だからこそ失敗を犯すのだ。通常兵器の使用であれば、『二度と過ちを繰り返すな』ですむが、過ちがつきものである人間が核兵器を扱えば、世界を破壊してしまうだろう。それが教訓だ」
■ ■ ■ ■
マクナマラ氏はインタビュー当時、すでに86歳。その翌々年に再婚して話題を呼んだが、2009年に93歳で死去した。
現職時、豊かで強そうにみえた頭髪は薄くなり、眼鏡越しの鋭い眼光はすっかり柔和な眼差しに変わっていた。
ケネディ政権の後を襲ったジョンソン政権で留任したが、68年2月に辞職、世界銀行総裁に就任した。
危機当時の大統領、ジョン・F・ケネディ氏は翌63年11月、テキサス州ダラス市内で遊説中に撃たれ死亡。
ロバート・ケネディ氏は兄大統領の死後、ニューヨーク州選出の上院議員として活躍。68年の大統領選に名のりをあげたが、同年6月、ロサンゼルスで遊説中に兄同様、銃で暗殺された。
トップ写真:ジョン・F・ケネディ大統領とカーチス・レメイ将軍および補佐官によるキューバ監視の協議の様子(1962年10月)
出典:Photo by Charles Phelps Cushing/ClassicStock/Getty Images
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