実力の世界とジェンダーについて(下) 娯楽と不謹慎の線引きとは 最終回
Japan In-depth / 2022年11月1日 3時28分
林信吾(作家・ジャーナリスト)
林信吾の「西方見聞録」
【まとめ】
・国際水泳連盟は、トランスジェンダーの選手が女子の競技に出場することを禁止。
・一人のトランスジェンダーの選手に配慮し、圧倒的多数の「女性として生まれた選手たち」の声に耳を貸さないのは、民主的なやり方ではない。
・民主主義も人権も、長い時間と大いなる労力を費やして、ようやく普遍的なものとなってきた。より平等な社会を実現する為の試行錯誤は今も続いている。
「この世には男と女しかいない」
とは、昔から言われていたことだが、最近一部のメディアでは、この言葉が〈要注意〉の扱いになっている、と聞いた。禁句とまでは言わないが、LGBTの人権が侵害されているとして、抗議を受ける可能性がある、といった理由らしい。
本誌の読者には、今さらながらの説明かも知れないが、Lはレズビアン、Gはゲイ、Bはバイセクシュアル、Tがトランスジェンダーで、最近はこれにクエスチョニングすなわち自身の性別を認識できない人を含めてLGBTQとも言う。要は性的マイノリティの総称だ。
トランスジェンダーについては、一般に性転換手術を受けた人のことだと考えられているようだが、正しい定義は「生まれついた性別と当人の認識が一致していない人」のことで、つまり肉体的には男性か女性だが、当人は異なる性別に属すると認識している人のことである。
このような人たちが、しばしば深刻な差別問題に直面していることは事実で、私はあらゆる差別に反対する立場である。しかしながら同時に、差別と区別は違うだろう、という考えを変えるつもりもない。
冒頭の言葉についてだが、性的マイノリティの人たちにせよ、法的にも肉体的にもどちらかの性別に属していることは間違いないわけだし、また、この言葉を「性的マイノリティはこの世のものでない」という意味になるなどと解釈するのは、いかにも無理がある。
前回、将棋界においては棋士と女流棋士は異なる概念だが、囲碁はそうではない、という話をさせていただいたのも、論点を具体的に提示したかったからだ。制度上の差別問題と実力差の問題はまったく違う。
将棋や囲碁はゲームだが、知的スポーツとして広く認識されている。長考など体力勝負の部分もあるので男性が有利、との見方には説得力がないということも、前回述べた。
一方、スポーツ界では大半の種目が男女別になっているが、これについて違和感を持つ人は、あまりいないのではないか。
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