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少しもクールではない「冷笑系」(下) 歳末は「火の用心」その2

Japan In-depth / 2022年12月9日 18時0分

「カラス なぜ鳴くの カラスの勝手でしょ」


 というギャグを、昭和の子供がこぞって口ずさんでいたからと言って、これだから自分のことしか考えない大人が増えたのだ、などと批判してどうなるのだろう。それと同じ次元の話である。


 ならばどうして、よいことではないと思うのか。


 端的に、彼の言動を見て、今の小学生には、


「こういう大人にならないで欲しいな」


 と言いたくなるからである。


 ご記憶の向きも多いと思われるが、10月に彼自身がちょっとした炎上騒ぎを起こした。


 沖縄を訪れ、辺野古基地に反対する人たちが米軍キャンプ前に建てた、


「座り込み抗議 3011日」


 という看板の写真(日数は毎日更新される)を掲げ、


「座り込み尾抗議が誰もいなかったので、0日にした方がよくない?」


 などとSNSに投稿したのである。


 これに対してまず反応したのは、沖縄大学自治会のツイッターで、


「辺野古の座り込み行動は、工事のための車両が来る9時、12時、15時に合わせて行われます。なので、次の日も座り込みをするために、夕暮れ頃には誰もいないということはよくあります(注・ひろゆき氏の投稿は10月3日午後6時)」


 と反論。すると、打てば響くように、


「『9時、12時、15時しかいません』と書いてくれないと、わからないですよ」


 などと応戦した。


 前に、国葬の問題について書かせていただいた際も、彼の言動を批判的に取り上げたが、このように有力な反論にさらされると、たちまち論点をずらしてしまうのである(はい。私の感想です笑)。しかも続けて、


「『座り込み』 その場に座り込んで動かないこと。目的を遂げるために座って動かない。知らない間に辞書の意味変わりました?」


 と追い打ちまでかけている。いや、これで反論になっていると本気で考える人は、少しおかしいのではないか(あくまでも私の感想です。再度、笑)。


 あえて「ひろゆき論法」に付き合うなら、その辞書の定義に従った場合、何時間、あるいは何日以上動かなければ「座り込み」と認められることになると言うのか。それこそ、


「そんなデータがどこかにあるんすか?」


 という話ではないか。上記の台詞も、彼の常用句のひとつである。


 私がどうして彼の言動に批判的であるか、これ以上は多くを語るまでもあるまい。


 沖縄の基地問題を、かくも子供の喧嘩じみた揚げ足の取り合いに矮小化するのは、よろしくない、と私は思う。


 もちろんこれは私の「感想」であるから、そうは思わない、という人もいるだろうし、それはそれでよい。ただ、何事かを論じるのであれば、最低限なにが問題なのかを明確に示すのでなければ、論者の責任放棄だということになるだろう。


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