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CM史とCM炎上史(中)歳末は「火の用心」その6 

Japan In-depth / 2022年12月21日 23時0分

 そのような、復興から経済成長への歩みを支えたのは、連日連夜の残業をものともせずに働く「モーレツ社員」たちであったというわけだ。もちろん漢字を当てれば「猛烈」だろうが、単にカタカナの方がなじみやすいと考えられたのか、戦時中に「烈」という漢字が好まれていたことと関係あるのか、色々な見方をする人たちがいて、よく分からない。


 ともあれ、わが国における1960年の平均労働時間は2432時間。毎週50時間ほど働くのが当たり前だったのである。


 そのせいかどうかまでは分からないが、この「オー モーレツ」というCMに批判が殺到した、という話は聞かない。今思うと、他に標的があったからであろうか。


 前に、ドリフターズについての記事を書かせていただいたが、奇しくも同じ1969年に、彼らの代名詞とも言うべき『8時だヨ!全員集合』の放送が始まっている。


 前年の1968年には『少年ジャンプ』が創刊され、永井豪の『ハレンチ学園』が連載されていた。前述の「モーレツごっこ」も、実はこの漫画が発信源だと見る向きもあったようだ(たしかにそのような描写があったと記憶している)。


 もっとも、今思えば昭和という時代のおおらかさであったのか、ドリフターズのリーダー・いかりや長介は、いくら抗議が殺到しようが、


「下品上等。徹底的にやるぞ」


 などとうそぶいていたと聞くし、永井豪に至っては、くだんの『ハレンチ学園』が不良文化財扱いされていたことを(作者自身の回想によれば「こんな漫画を読んで育った子は、将来きっと性犯罪者になる」とまで言われたことがあるそうだ)逆手にとって、舞台となる聖ハレンチ学園に教育委員会が戦車で攻めてくる、というストーリーで連載をかえって盛り上げてしまった。私を含め、この漫画のおかげで日本には教育委員会という組織があるのだと知った小学生は結構多かったはずだ。不良文化財どころか立派な教養書ではないか笑。


 他に、今ならセクハラ・パワハラ認定されそうなCMも結構あったように思うが、いずれもYouTubeには動画があふれているので、ここでは逐一触れるまでもないだろう。


 話を戻そう。前述の通り「オー モーレツ」が話題になったのは1969年だが、翌70年には


「男は黙ってサッポロビール」


 というのが話題になった。


 こちらはリアルタイムでは強い印象を受けていない。酒が飲める年齢ではなかったので当然だ。ただ、このCMにまつわる都市伝説があって、それは小中学生でも知っていた。


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