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ビールと法の話 酒にまつわるエトセトラ その3

Japan In-depth / 2023年1月22日 11時0分

ビールと法の話 酒にまつわるエトセトラ その3




林信吾(作家・ジャーナリスト)





林信吾の「西方見聞録」





【まとめ】





・紀元前3000年頃にはすでにビール醸造が盛んであった。





・ビール史の中で重要なのは「ハンムラビ法典」と「ビール純粋法」。





・現在は米やコーンスターチを加えたものが主流。





 




人類がビールと出会ったのは紀元前4000年頃、メソポタミア文明が隆盛に向かっていた時期のことであると、広く信じられている。


食べ残したのか作り置きであったのか、ともあれ室内に放置してあった麦粥が自然発酵したものと考えられているが、紀元前3000年頃の遺跡から出土した粘土板(モニュマン・ブルーと呼ばれる)には、当時すでにビール醸造が盛んであったと記されている。


ワインについての記録はもう少し新しく、紀元前3000年頃から同じくメソポタミアにおいて、ワインを作るためにブドウを栽培するようになったとされている。


しかし、最近の研究ではジョージアで発掘された8000年前の遺跡から、ワインを醸造した形跡が見つかっているので、これが最古ではないか、とも言われている。ジョージア政府筋も、自国が「ワイン発祥の地」であるとの宣伝に力を入れているようだ。


ただ、ブドウそのものは氷河期以前、すなわちホモ・サピエンスが地球上を闊歩するようになる前から自生していたとされるし、醸造に必要な酵母は大気中に存在しているので、ブドウが発酵してワインでできること自体は、言うなれば自然現象である。別の言い方をすれば、人類は酒を発明したのではなく発見したに過ぎないのだ。


ただし、酵母が活発に活動する気温が保たれていなければ、容易に発酵しないことも事実であって、冷蔵庫が食品の保存に有効なのも同じ理由によるものだが、とどのつまりメソポタミア(現在のイラクの一部)やジョージア(カスピ海と黒海に挟まれた地域にある)といった温暖な地域でワインやビールが最初に飲まれるようになったのも道理だと言える。


ワインについては項を改めるとして、今回はビールの歴史にとって非常に重要な、ふたつの法律を紹介させていただこう。


ひとつはハンムラビ法典。


紀元前1792年から1750年にかけてメソポタミアに君臨したハンムラビ王が制定したとされることから、こう名づけられた。わが国ではしばしば、主要な条文について、


「目には目を、歯には歯を」


と訳されて、やられたらやり返せ、という精神の産物だと解釈する向きが多かったが、これはまったくの誤解である。


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