平成11年の年賀状②「日の要求と青い鳥」
Japan In-depth / 2023年4月14日 23時0分
鷗外は1907年に就いた陸軍省医務局長・軍医総監の地位を1916年に退く。54歳である。それから6年を生きた。本人は自分が結核であることをわかっていたから、寿命についても覚悟はあったのだろう。それでも役人としての生活と文筆の二重の生活を変えない。最後には『元号考』という、ほとんど読者の想定できない、しかし彼なりに国のために大切と考えた書き物に残り少ない人生を捧げる。このためになら命が縮んでもかまわない。そうでない生活をして長生きしようとは思わないとまで言い切っている。こめかみにできた血管のふくらみを指して、これが輪になったら終わりだと呟いてもいる。
鷗外は死んで著作が残った。その人生を探求する者は後を絶たない。殊にドイツから訪ねてきたというエリスのモデルについての探索が盛んである。
とうに鷗外の死んだ年齢を超えた私にも「青い鳥」は見つからない。尋ね続けている。しかし羽音すらも聞こえない。たぶんこのまま終わるのだろうと思っている。
「自分は此儘で人生の下り坂を下っていく。そしてその下り果てた所が死だということを知って居る。併しその死はこわくはない。人の説に、老年になるに従って増長するという『死の恐怖』が、自分には無い。」
『妄想』の続きである。
私が初めて『妄想』を読んだのは1970年の6月12日である。その年の4月4日にパルコにあった三省堂書店で450円で買った「鷗外全集 2巻」に出ているのを読んだのである。私が大学に入った年のことである。
いま私は鷗外の『澀江抽齋』の朗読を聴き、本に戻ってはまた聴くことを繰り返している。その前には鷗外の別の著作であり、漱石でもあり、最近では坂口安吾でもあった。殊に芥川龍之介の『或阿呆の一生』は何度もなんども聴いた。35歳で自殺した青年作家の遺言とも呼ぶべき著作が心を打つのである。
鷗外にはという「休まずに努力した」という意味の言葉がまことにふさわしい。ところがなんと死に際しては「馬鹿らしい!馬鹿らしい!」と叫んだと伝えられる。(門賀美央子『文豪の死に様』63頁 誠文堂新光社 2020年刊)
それは、努力に終始した自らの人生への呪詛であったのだという解説である。
死に際して、鷗外は穏健なニヒリストであった自分について、最後の一瞬に後悔したということになるのだろうか。「かのように」を信条とした鷗外にふさわしくもあり、また気の毒でもある。どうして穏やかに「とうとう疲れた腕を死の項に投げ掛けて、死と目と目を見合わす。そして死のなかに平和を見出す」ことができなかったのだろうか。当の鷗外自身が「死への憧憬」ゆえに35歳で自殺したというマインデンレルについて述べた『妄想』のなかの一節である。芥川も、鷗外のこの文章から知識を得て『或阿呆の一生』のなかで触れている。
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