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日本の存在感を確かなものに~NYのジャパンパレード

Japan In-depth / 2023年5月21日 19時0分

「パレード」はその後、出身国や民族を誇示、主張する手段として、また、イベントを記念したり、祝ったりする手段として企画されるようになった。


「パレード」は市民が参加する事により、民族的立場を超えて、アメリカ市民としての結束を強くするための行事としての効果が注目され、実施されるようになる。当時のアメリカは国が出来たばかりで、南北戦争前の、まだ人口が300万人未満の国民の結束も浅い国家であったため、ニューヨークにおけるパレードは重要なイベントとなった。


その、アイルランド移民によるニューヨークの「セントパトリックデー」のパレードであるが、途絶えることなく毎年開催され、今年は261回目を迎えた。


ニューヨークは世界でもっともパレードが多い都市であり、各国がニューヨークで自らの存在をアピールする機会としてパレードを開催しているが、移民の歴史が違うとは言え、日本のパレードは、ニューヨークでまだ、「たったの2回」。


しかし、歴史を紐解くと、その昔、パレードを通して、ニューヨークで日本は、他国が真似を出来ない存在感を示していた。


時は万延元年、1860年。


江戸幕府は開国後初となる、公式使節団をワシントンに派遣した。後に「不平等条約」と評価される日米修好通商条約の批准書交換(いわゆる契約締結のためのサイン書交換)のためである。


渡米のために、アメリカ側が用意した海軍船「ポーハタン号」(いわゆる黒船の内の一隻)に乗り込んだ一行はサンフランシスコに到着後、船でパナマまで移動、パナマ運河はまだなかったので、パナマからは陸路でワシントン入りした。


ワシントンではブキャナン大統領に謁見、文字通り、官民挙げての大歓迎を受けた。


小さな体躯と浅黒い顔にちょんまげ。


東洋からの珍客に当時のマスコミは大いに湧き、その一挙手一投足がつぶさに報じられた。


しかし、マスコミが報じた興味の中心は「未開の国から来た人々が初の文明に触れる瞬間」であり、いわば「野蛮人」が、文明にどのようにひれ伏すのかの瞬間であった。


だが、当時のアメリカ政府は、一行77人のもてなしのために5万ドル(現在の価値で2億円)の予算を割いている。日本からも、使節団一行は、滞在や、歓迎会などに使ってもらうとして、数万ドル相当を持参したが固辞され、滞在に関わる費用はすべてアメリカ側が負担、文字通り下へも置かないもてなしを受けた。


乾板写真はまだ発明されておらず、新聞に写真もまだ載らない時代で、肉眼で一行の姿を目の辺りにした人々は、そのリアルな姿にドキモを抜かれた。ちょんまげ、大きな刀、着物姿。そして侍たちの立ち居振る舞い。人々は興奮した。


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