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平成22年の年賀状「明治の日本、戦後高度成長の日本」・「場所と私、人生の時の流れ、思いがけない喜び」・「紅茶と結石と年賀状」

Japan In-depth / 2023年8月16日 23時0分

手術までの2か月、私には不安があった。





いつ痛みが走るか分からないという不安である。痛みは、生じれば七転八倒するほどになっても不思議はないとなんども言われていた。たまたま6月に大学の同窓会があり、その場に尿路結石を患った同級生がいて自分の体験を話してくれた。「ありゃ、どえりゃあ痛いぞ」という彼の言葉に、なんとも真実味があった。





それでも、私は手術の日までに石が自然に排出されることを夢見ていた。出れば、手術はしなくて済むのである。





手術の終わった今となってみると、私は実は自分がとても幸運だったのだとしみじみ思っている。





自然に排出されたとする。そのときには転げまわるほどの痛みがあったかもしれない。排出されなかったのだから、それは経験しないで済んだ。





衝撃波で破砕できたとする。そのときには、割れた石の尖った部分が排出されるに際して痛みを伴うことがあるという。それでも、衝撃波での処置を望んだのは私である。いまから思えば冷や汗ものだったのかもしれない。





レーザーを用いた手術であれば、衝撃波と違って粉砕することができ、そのうえ、砕かれた石を別のネットで取り出すという手順も踏むことができた。





なんという医術の進歩であることか。「自然科学のなかでも最もexactな医学」という鷗外の言葉を思い出す。





7月13日午後2時ころ、私は全身麻酔を受けるべく手術台に仰向けに横になっていた。目を開くと手術用の無影灯とよばれるたくさんのライトの集まった傘のような、少し黄緑がかった照明器が視野に入る。





「ああ、この光景がこの世の見納めというわけか」





という思いがふっと頭をよぎる。手術自体は、先ず命の危険があるようなものではないと聞いていた。しかし、全身麻酔は一定の危険がある。どんなに低くとも麻酔状態のまま目が覚めないということはあり得ることなのだ。麻酔なしでの手術などは考えることもできないから、これはしかたのないリスクなのだろうが、今回のこの一回がたまたまそれにあたるということはあり得ないことではない。





見納めか、と思った私は、次に「見納めといってみても、死んでしまったら見たものを納めていたところもなくなってしまうんだがな」と考えた。そこまでだった。





次の瞬間は、同じ手術用の無影灯の眺めだった。





「無事終わりました」と磯谷先生に告げられたような気がする。未だ麻酔が覚めていない状態である。





左右の腕に蕁麻疹のような浮腫(むく)みができ、少し痒かった。





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